先週の土曜の中央区での「がんばっぺ佃シニアサロン」のもんじゃ交流会で、半身不自由ながら南相馬でボランティアしてきたという方とお会いした。
もともとライフセイバーをやっていて、JAICAなど色々活動も経験されていたようだが、数年前100万人に1人くらいの確率の病気で突然半身不随になったそうだ。
発症当初より回復して少しは動けるようになった今でも半身の感覚はないという。
そんな彼が昨年「出来ることなんかないかもしれないけど」それでもとにかく行ってみたくて南相馬のボラセンを訪ねて出会った役割は、自身の過失もなく不運にも身体障害者となった立場だからこそできる傾聴ボランティアだったそうだ。
仮設の皆さんに「みんな勇気をもらった、あなただからこそできること。あなたにはその資格がある。」
と言われたそうだ。
一般人の基準だと「何もできない」人でもある状況において果たせる役割がある。
人にはそれぞれ何かしらの役割がある。
彼の場合は「悟った」というよりまだ必死に自分に言い聞かせている印象だったが、なぜ生かされたかはやはりそこに意味があると私は思う。
自分の生に意味を見出せることは人間一番の幸せだろうと思う。生きる意味まではわからなくても、今ある環境で自分の出来ること、果たすべき役割を見つけられたら生きる意味も自ずとわかってきそうだ。
人間は、生に意味を見出せる唯一の生命体ではないかと思う。
そして生と裏表となる死に対して意味を見出せるのもまた人間が唯一だろう。
死んでしまえばただ土に還るだけ。
冷静に事象を捉えればただそれだけだが、人間はそこに意味を見出すことができるし、そうしなければいけないんじゃないかとここ数年考えるようになってきた。
残された人間がその死に意味を見出すことは、その死んだ人の生に意味を見出すことに繋がる気がする。
そして死んだ人の死生に意味を見出すことは、最終的に自分の生に意味を見出すことに繋がっていくんじゃないかと。
土曜日に出会った身体障害者の彼のことを思い出してるうちにだいぶ考え事をしてしまった。なんでこんなこと考えてしまうのかとよくよく考えると、そういえば1月かぁと気付く(阪神大震災とは関係はありません)。
1月は寒波が強くなる頃、ふと気付くと条件反射的に生死について暫くクルクルと考え込む。
あれから何年経ったんだろう。
1年経つ毎に答えが少しずつ明確になっている気がする。
昨年、真相を少し知ることができていくらか気持ちは楽になったが、それでも何かできたんじゃないか、少しでも何か繋がってれば状況は変わったんじゃないかという思いは拭えない。
震災で「何かしなきゃ」と自分を駆り立てたものはここにある。
そこから巡り巡って今の自分がいる。
だからやはり死は生へ繋がっていると思うし、それを体現させなきゃなあ、とも思う。
先週彼に出会ったのも単なる偶然じゃないし、彼が半身不随になって入退院を繰り返しながら何とか生き延びたのも偶然じゃない。
おのおのが自分の役割を、生きる意味を見出せるコミュニティ、組織、社会になれば幸せに暮らせる。
そんなことを考えたこの一週間。