2011年12月31日土曜日

気づけば今年も終わりで、、、


出不精な私としては今年程、多くの素晴らしい方、凄い方、粋な方に出会った年もなく、もしかしたら生涯で一番多かった年になるような気もしてます。

また今年程自分が「生かされている」と感じた年もなく、ご縁と温情に対して感謝の一言に尽きます。

年末は最後まで忙殺されておりましたが、一年の終わりに駆け込みで更に良い出会いがありました。

来年は今年以上に大変な年になるような気がしていますが、自分のなすべきこともなんとなく見え始めてきたので来年は3割増しでいきます。

皆様、今年一年有り難うございました。

それでは良いお年を。

2011年12月20日火曜日

気づくべきこと

先週の志塾での勉強会で構想日本の加藤秀樹先生の講義があり、出だしから刺されるような緊張感出しまくりで一同冷や汗をかきながらも非常に重要な内容を拝聴しました。

原発事故問題の言及から話が始まり意外でしたが、今の日本、日本人の状態をするどく指摘され考えさせられることが多々ありました。

というよりも、被災地問題で感じていることが全て加藤先生が仰ることと合わさり、益々もって被災地だけの問題だけでもなく、日本としてどうあるべきかを考えないと本当の復興はなし得ないと感じた次第です。

詳細は改めて後ほど。

2011年12月16日金曜日

仕事〜自立支援

被災地で一番問題なのは被災者の雇用だろう。

全てを流された方々は特に精神的なよりどころが必要で、一番良いのはやはり仕事、生き甲斐があることが第一と思う。
やることがあれば前を向いていける。

先日、夏に扇風機を贈った相馬の方に手紙を送ったら、何とかやっているが仕事がないという返事が返ってきた。

雇用保険の期限が延長され続けて何とかしのいでいる方がたくさんいると思うが、経済的な部分以外でも今の状態はあまりよくないと思う。
時間が経つにつれ、精神的にも肉体的にも勘を取り戻すのに必要な時間も増えてくる。



昨日ハローワークで福島県の求人状況を見てみたが、いわき市はパッと見で二週間前よりもさらに求人が増えた印象があった。
いわき市はだいぶ活気が出てきているように感じる。
一方で南相馬は相変わらず求人を眺めても寂しい。
本当に仕事がないなと感じる。
多くの若者が避難した。
仕事もなければ戻るに戻れない。
この状態を果たしてどうすれば動かせるのか、、、。


話は変わって、南三陸ではMSR smile project が被災地のおばあちゃん達にミシンの指導などワークショップを行って自立支援を行っている。
今月から都内のレストランなどで商品を販売開始したようなのでお近くに立ち寄られたら是非。

2011年12月12日月曜日

県外避難の子供達


昨日は都内の某雇用促進住宅にて、福島の警戒区域内から避難してきている子供達とのワークショップ。
この日は大熊町、浪江町など各地から避難してきている方にお越し頂いた。

先週まで研修を行い、いよいよ本番というところだったが、予想以上に体力を消耗しまくった。
前回の東大でのCAMPは受験の一環として受ける層が多く、比較的上品な子供(失敬)しかいなかったらしい。
今回はかなりあばれ馬が多かった気がする。
当日の朝、電車の中で色々考えるなかで、「急に環境が変わってしまって、元気がなかったらどうしようか」とやや不安になっていたのだが、全くもって無用な心配だった。

合計16名の参加。
今回は1〜2年生がメインだったが、5年生組が二人いて、彼らに非常に手こずった。
最初から組み合わせでごねだしたので、「腕相撲で勝ったらいいよ」と交渉材料を提案した。
他のファシリテーターは「ちゃんとくじ通り組まないと。高学年なんだから」
という感じで、それは通常ならもっともなのだが、急に都会に避難せざるを得ない状況にたたされ彼らも色々あるのだろうと非常に気になった。
且つ反抗期的なものも垣間見え、大人組がなめられていたので、何かきっかけを作らねばまずいと思った。
なので敢えて「腕相撲」。

私は小学生高学年二人相手でも勝てる自信は実はあまりなかったのだが、なんとか勝てたw
少しこちらの話を聞いてくれるようになった、と個人的には思う。


今回は低学年向けのロボット作成のプログラムだったため、高学年にはやや物足りなかったように見えた。


ただ、ロボットの動きを決めたらあとは自由に作るとうい流れだったため、低学年の子達のほうが感覚的にいじりながらどんどん作成を進めていたのが印象的だった。


高学年の子達も最終的には完成にこぎ着けたが、最初に作ろうと意気込んでいたナメック星人は途中であきらめたようだった。




今回は自閉症の子もいて、その子は結局一人で作品を作らせることになったのだが、波に乗ると凄い力を発揮するなと驚かされた。


開始前の入室時から材料を集めだし、「これ持って帰る」とダダをこねていたので、内心ちゃんと作れるのか不安だったが、しっかり作成し、発表も見事なものだった。


親御さんはこの日のCAMPでは、子供を預けたら発表時間まで子供を預けてどこかへ出かけるなどのパターンだったが、日頃子供の面倒を見ているので手を空けてあげる。
これも支援のひとつじゃないだろうか。


四時間程、子供達ちとふれあっていたが、非常に元気だった。
これはとても安心した。
と同時に、ストレスやら気を張ってるような印象も受けた。
年頃の年齢になると特にそうだろう。


あと気になった点が一つ。
出だしから困らせる態度をとっていた高学年の二人ですが、何故かその場にいなかった友達2名の名前を、自分たちの名前とともに作品に書いたのは単なる子供心とは思えない(あえて追究はしなかったのですが)。


今回は初回ということもあり、また親御さんからお子さんを完全に預かることで子供のいない時間を提供するという目的の企画なので、親御さんから直接話しを伺う時間はありませんでしたが、回数を重ねることで徐々に距離が縮まっていくことに期待します。







2011年12月6日火曜日

被災地支援→日本再生


来週末はまた志塾での勉強会。
志塾の事務長が仙台出身のため、志塾関係者を募ってボランティアにも何度かいかれている。
そのため7月から始まった勉強会の度に、日本をどうするべきかという話から被災地支援の話になってしまう。
私は支援活動においてヒントなり有効な手段なり人材なりを発見するヒントになれば、と思って今年敢えて入塾しましたが、思わぬ縁となっています。
自分の力量不足でまだ十分に活かしきれていないのがもどかしい。

本来は日本をどうすれば良くしていけるか、を考えるのが趣旨ですが、今回の震災での被災地の状態を見ると無関係ではないため、自分が発信することで色々な糸口が結びつかないかなと模索中です。

現在、関連会社のスーパー温熱による温熱治療で福島の仮設での温熱ボランティアを準備中。
個人的にはお年寄りの多い仮設はもちろんのこと、現地ボランティアのケアも行えればと考えています。


ちなみに温熱治療は重度治療だと沖縄温熱でガン治療を行ったりとそのポテンシャルはかなりのものがあります(個人差ありますが)

温めて血行を良くする、というただそれだけのことですが、現代人の様々な諸症状(鬱、低体温、自律神経失調症etc)の原因をつきつめると、その改善に高い期待値があると個人的には感じています。
薬は根本的な治療ではないため(症状を抑えるのが主。)、なかなか治らないと悩んでいる方はこういった民間治療も併せて自主的に症状改善に取り組でいかなければいけない時代が来ていると思います。
年金とか保険料とか、これからの不安要素を迎えるにあたって予防医学は必須です。



www.saisei21.jp
再生日本21は、日本再建のため、国家政策、安全保障、財政再建などの基本戦略を提言し実行していくシンクタンクのサイトです。

2011年12月5日月曜日

キッズワークショップ〜CAMP


昨日は東大の福武ホールにてCAMPに参加。
実戦研修受けてきました。

参加者20人はほとんど小学四年生でしたが、キャラは様々。
前回のロープレで自分が演じた自己中な子供役がそっくりそのまま登場して「ほんとにくそガキが来たw」と内心爆笑してたり。
自分はこのままではまずいと思ったペアに半ばつきっきり状態になりながら全体も見て回っていましたが、各グループを眺めながら、子供達それぞれが何かしらのポテンシャルを秘めているなと感じました。


今回はピコクリケットというプログラムを組み合わせて動かすロボットを使って「冬に一緒にいたら暖かくなれる生き物」という僕の案で出したお題で作品作りをしてもらいましたが、ほとんどクリスマス関連に統一されるという実にわかりやすい傾向が。
やっぱり子供。

子供といると右脳を全開にせざるを得ないのでなんだかんだ楽しくなってしまうのですが、それでもやっぱりある意味「死合」に近いものがあります。
何気ない言い方を凄い気にしてきたり(言ってくれるだけまだいいですが)
気が抜けません。
気を抜くと後ろからすぐ刺されそうな気持ちです。

ということで来週はいよいよ大熊町の子供と勝負です。

http://www.camp-k.com/
www.camp-k.com
社会貢献プロジェクトは、SCSKグループのCAMP(Children's Art Museum & Park)。CAMPの社会貢献プロジェクトは、小中学生を対象としたワークショップの開催など、さまざまな社会貢献に取り組んでおります。

2011年12月4日日曜日

あきらめ

先日、TERRAをお貸しした、米沢に避難している富岡町の方。

一時帰宅で線量を測ってみての感想、というか心境をガイガーPJの方から間接的に聞いた。

自宅内は約5μsv/h。
周辺は20μsv/h前後。
高いところでは80μsv/h・・・・・。

線量だけでも問題だが、この方は線量の問題を除いたとしても、自分の土地に戻るのは難しいと感じたそうだ。

なぜなら、家の中が放し飼いの動物達に荒らされてかなりめちゃくちゃになっていたとのこと。
「これではちょっともう戻れない」と思ったらしい。
動物は餌を求めて家屋に入るため、家はどこも荒らされている状態のようだ。

とても切ない。

時間がかかれど何かしらの策を講じ、仮に線量が何とか収集ついたとしても、戻れる状態ではないことを思い知った。

話を聞いた限りでは、このかたは戻ることを「あきらめた」と私は捉えた。
悔しいが、次のステージへ踏み出す準備ができたと前向きに捉えるしかない。







2011年12月1日木曜日

高速無料措置

やや不満だが若干の改善は見られる。
東北全体を勘案している点は評価できる。
被災地以外も打撃を受けているので。

もっと早く手を打ってくれればなー。


http://www.e-nexco.co.jp/road_info/important_info/h23/1121/?mid=53

TPP問題


以下、Facebookに投稿したものそのまま引用いたします。
被災地復興にぐずついている政府が、復興の足枷になるような策に賛同しているのははなはだ頭にくる。
やるならせめて復興の目処がついてからにして欲しい。
今日はこのことを考えていてちょっと頭にきてます。



TPP問題。
色々考え方はあるのかもしれませんが単純に考えてみた場合、
東北の復興を考えると、現状では足枷にしかならないと思うのですが。。
なぜ政府が自国に追い打ちをかける策に飛びつくのか、理解できない。
裏でおいしい思いでもできるのだろうか。

http://www.the-journal.jp/contents/newsspiral/2011/01/tpp_5.html

www.the-journal.jp
« 続・世論調査の「TPP推進」は本当?──地方議会の反対決議 メイン 石川知裕:私が事情聴取を録音した理由 »

2011年11月29日火曜日

東北伝統工芸の復旧復興


本日、構想日本の「J.I.フォーラム」へ参加してきました。
震災で壊滅的な打撃を受けている東北の伝統工芸に関してのフォーラムです。

震災に見舞われた東北の伝統工芸及び中小企業の今の厳しい現状をどうしていけば良いか、について話合われました。

仙北信用組合前理事長の若林さんの東北復興銀行構想は面白いなというか、現状の行き詰まりを打開するにはキーになる策だと感じました。
自分は金融などの話は疎いのですが、被災地の中小企業のこれからの課題は非常に重いと認識した次第です。

また懇親会の帰り際に、東北工芸の発展に尽力されている田中陽子さん(暮らしのクラフトゆずりは)と被災地についての話をし、心の復興が必要なこと、今からが大変なこと等、色々意見を交わしてきました。

各地域が復旧から復興へシフトしていきている状況の中、福島、特に相双地区の状態を考えると、どうしたもんかなと悩ましい限り。
ふんばろうで物資支援という形で携わっていますが、もっと根本的な部分での支援が今後必要な気がします。

改めて色々考えさせられる良い機会でした。

と、泥酔状態での今日の所感でした。





www.kosonippon.org
構想日本(Japan Initiavive)は、国や地域の政策をいずれの政党、業界からも独立の立場で提案し、その実現を目指す非営利組織です。

2011年11月27日日曜日

お母さん頑張って〜いわきの虎

今週、Facebookを眺めていたらうれしいことが書いてあった。

いわきの現地活動でお世話になっている三児の母親のA氏のウォールにこんな近況が。

母の日や誕生日はほぼスルーされている私。まさか勤労感謝の日に手紙等々を頂くとは予想外でした(*^_^*) 一番の理解者の子どもたちに感謝です

というコメントと一緒に「いつもありがとうございます」と書かれた手紙と折り紙の写真。

これを見てとても嬉しかった。


彼女は通称「いわきの虎」。(と言っても福島支部のメンバーがこの前勝手に名付けただけだが、言われてみると似ていた。どちらかというと母ライオンに似ている)

いわきの南のほうに住んでいらっしゃるが、旦那さんのご実家が久之浜(30km圏手前)にあるため、久之浜の支援活動をしている若者達の手助けをし、色々と世話を焼いている。
現在、久之浜の母虎と言っても過言ではないと思う。

私もだいぶ世話になってる。
実家に泊まらせて頂いたこともあるし、今月はメールで文通のようなやりとりがずっと続いている。
現地で確認したいことについて市議からの情報を得て教えてくれたり、支援活動についての考え・悩みなど割と眺めの内容になってしまっても丁寧に返事を頂いている。
我が心の保健室のような存在になってきた。

そんなこともありとても感謝していて、そのうち何かできないかなーと一週間前から考え始めていた。
おそらく一番嬉しいのは、子供たちから励まし or 感謝の言葉だろうというのはわかっていた。

なぜなら9月に次女のたまやんとのツーショットを贈ったらとても喜んでもらえたから。
「こうして(写真を)見ると我が子と過ごすひと時が一番幸せだなーと改めて思いました」
とメッセージを頂いた時、我が子が原動力なんだなと強く感じた。

だから子供伝いに感謝の気持ちを表せないかなと密かに思案していたのだが、3匹の子虎達はちゃんと自ら感じ取っていたようだ。
自分たちがおばあちゃんの所に預けられている間に母虎がいわきのママさんや久之浜の青年のためにせっせと活動していることを何となくわかっているのだろう。

それが勤労感謝の日のプレゼントになったんだと思う。
3匹の子虎にありがとうと言いたい。



たまやんの写真→たまやん
ガイガーPJのスライドにも採用されました→ふんばろう









2011年11月26日土曜日

どこまでが支援か

どこまで支援するべきか。

「物資支援を卒業してもらう」と、とある方が仰っていた。
ここが区切りの一つかと思う。

しかし未だにここを卒業するめどがついていない地域がある。

行政が足踏み状態で下手すると根本的な部分が震災直後からほぼ何も状況が改善していないようである。

ここはおそらく本来であればボランティアという形では支援し得ない部分だが、今の深刻な状況では地元の人間だけでは恐らく改善が難しいと感じる。
動く若者がいないからだ。

問題の大なり小なりはあれどこういった地域もしくはコミュニティはまだまだある。

そこに対してはボランティアを越えた本当の支援が必要に思う。

2011年11月25日金曜日

避難しない人の心情

水曜日、午前中に福島市へTERRAの回収のためにGCPのメンバーのK氏と飯坂のヨークベニマルで落ち合う。
色々話しこんでいたら県外の人間の「なぜ避難しないのか。避難するべき」発言への悩み・ストレスについて語りだした。
再確認するように私はずっと30分程K氏の話を聴いていた。


その足で米沢の支援センターに寄った。
この日は毎週水曜のお茶会で「雑煮の食べ比べ」をやっていたが、13時着で一足遅かった。汁だけ頂く。

まだ丸山さんがいらっしゃって、神戸からきた神戸YWCAの方をご紹介頂いた。
教会系の団体で福島のお子さんがいる方対象にショートステイを支援活動として行っているとのこと。

話の流れで福島に残っている人の今の心情を長々と説明する形になった。
実際には10分程度だったと思うが、気持ち的には30分くらい一人で喋っていた印象がある。
100%ではないが1から10まで説明したつもり。

福島県内の方々は県外からの「なぜ避難しないのか」という発言にうんざりしている。
仮置き場がいつまでたっても決まらず除染の目処もつかず、東電の補償も目処がつかず、県外へ避難するにしても、県内に残るにしても、どちらもリスクがある。

県内組は放射線の危険性を軽視して避難しないわけでなく、知りうるデータから総合的に判断して、県外避難の経済的・精神的リスクとの比較をして避難しないことを選択している。(まだその判断力がない人もいるが)
中途半端な知識で「放射線は危険なんだから早く避難して欲しい」というのは安易すぎるということをわかって欲しい。
それを言うならば、避難の手段と避難の経費、避難先での仕事を用意してからでないと余りに無責任と言わざるを得ない。
そもそも生まれ育った土地を簡単に離れられるものではない。


最近、こういう福島の人達の気持ちは理解され得ないのでは、と感じている。
だからこそ逐一説明しようという気持ちにもなっている。
この日は支援センターに寄る前に、福島のK氏の気持ちも聴いたばかりなので尚更熱が入った。

一通り話し終え丸山さんと神戸YWCAの方々は次の場所へ移動。

なんだか一方的に喋ってしまったかもと翌日反省。


避難については個人の判断・価値観を尊重すべきであり、おしつけはよくないが、県内に残る方々の選択肢は増やすべきかと思う。


福島市からの避難者の一人が「全国に福島を作りたい」とおっしゃっていたが、各々の状況や事情にあわせた県外滞在のネットワークが欲しい。

長期的に考えれば子供の積算被曝量を減らす努力は必要。
長期・中期・短期で県外滞在ができる体制作りが今後の課題のように思う。





お知らせ〜海空フェスティバル〜明日まで!

再三の告知、、、と思ったら今日からでした。
以下明日まで開催されておりますので是非。
海辺でゆるーい感じでやってるらしいです。


海空フェスティバル

海空フェスティバル
http://umizora.jp/


万年ダイエット女流ジャズベーシストであるふんばろうの程嶋さんの同級生らが企画して6月のイベントでは1万人の動員数となったイベント。
震災で落ちこんでいる地元を元気付けようという趣旨のイベントとのことですが、今回は程嶋さんも運営に加わって、被災地支援のブースも出すとのこと。

ブース出展者も商店街を足で回ってお願いしたというから凄い。
湘南の方は是非チェックして頂きたいです。

11月25日(金)、26(土)の二日間の日程。

2011年11月21日月曜日

抗酸化物質

抗酸化栄養素が被曝対策に有効とされている。
これはビタミンC点滴の療法。

http://hibakutaisaku.net/index.html


長寿遺伝子の働きをONにするレスベラトールという抗酸化物質も被曝対策に有効と見られている。

これはポリフェノールの一種。
ポリフェノールといえば赤ワイン。
フランス人は被曝に強いのだろうか。

2011年11月20日日曜日

自分の目で

こちらにふんばろうでもお世話になっている内田さんのコメントがある(内田さんは南三陸の志津川高校避難所でずっと食事や物資仕分けなど避難所運営を続けてきた)

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1111/10/news077.html

(以下記事抜粋)
皆さんにお願いしたいことがあります。それは「被災地に来たことがない人は、ぜひ来て、見て、遠慮せずデジカメでたくさん写真を撮って、ネットにアップしてほしい」ということです。震災の爪痕はまだそのまんまなんだ、ということを伝えてほしいんです。
 今後どんどん、震災については忘れられていくでしょう。それは僕らも覚悟しています。でも少しでも覚えていてもらえるよう、現地の写真をアップしたり、飲み屋で話題にしたりしてほしいんです。それが、僕が伝えたいことです。
被災地からするとやはり忘れ去られるのが一番怖い。

全て流された地域は町の機能がまだ回復していない。
仕事がない。
経済が循環していない。
復興していくための支援が必要なのはこれからだ。


日本の国土は狭い。
観光ついでで良いので一度自分の目で被災地を確かめて欲しい。
そこで何を感じるかはその人次第だが、一度見て欲しい。

2011年11月18日金曜日

ガイガーPJ内部講習会@郡山

11月13日(日)。

郡山にてふんばろうのガイガーカウンタープロジェクトの内部向け講習会があった。

2ヶ月ぶりくらいに郡山を訪れたが、町のあちこちで除染活動が行われていたのが印象的だった。
郡山などでは子どもが運動できるように屋内遊戯施設が急増しているという。
ゴルフ用品店でも、空きスペースを屋内遊戯スペースとして無料提供するサービスが始まっているとのこと。
先日マスコミでも郡山の子ども達の運動不足が指摘されたためだろう。

これまで福島の中通と浜通のみに限定して線量計の貸出しを行ってきたが、福島県以外の地域からのニーズもあがってきているため、地域担当者が必要になってくる。
そのために講師育成としての講習会。

と言っても内容的に難しい部分もあり、一回ではなかなか講師はできないかなと、、、たぶん初参加の方は全員思っていたはず。


私は何回も見ている資料・何度も聴いている話として聴いていたが、それでも新たに「なるほど」と思うことがあるので、繰り返し聴講するしかないのかなと思う。

内部被曝の実行線量係数などちょっと本格的な話も出てきてかなり勉強になる内容だった。

この日は福島支部のメインメンバーがかなり揃っていたので、講習会終了後に雑談に忙しくなる。
どちらかというとこっちがメインで今回参加した。

と思いつつそれぞれに話たいことがたくさんあり、結局時間が足りなかった。

同時並行で、TERRAの使い方を貸出し担当の方に教える。
夏に米沢の支援センターにおいてきたチラシより、富岡町の一時帰宅予定の方から申し込みがあったからだ。

今週一時帰宅のようだが、果たして申し込みされた方は自宅で実際の線量を確認してどう思われるだろうか。ちょっと気になっている。

富岡と言えば、それとは別件でいわき市の富岡町の仮設で温熱治療のボランティアを行うことになりそうだ。富岡町の仮設は行政の支援がいっさいなく、全部自分たちでやらなくてはいけない状態とのこと。こちらもかなり気になっている。

なぜかたて続けに富岡町につながった。
何かあるのだろうか。

2011年11月17日木曜日

冬物支援

被災地の冬物支援。
ふんばろうのコタツプロジェクトとふんばろうと連携している平島氏のあったかストーブプロジェクトが日経webで紹介されている。

「あったかストーブプロジェクト」については私も米沢に避難している南相馬の方からできれば欲しい・・・と頼まれ、密かに応援している(他の方法も模索してます)。
本当に必要なところに届けなければいけないので、何でもかんでも支援するわけにもいかないが、心の支えになえればと思うこのごろ。
東北はどこも寒いがやはり豪雪地帯は気持ち的にも寒いので石油ストーブは必須と考えています。
ただ宮城県沿岸部だけでもかなりの数が必要なので、米沢まではなかなか難しいと思っています。



もし被災地への募金を実践している方、計画している方がいれば、できればこういう顔が見える支援への直接の寄付をお勧めします。
それはもちろん我々の活動の助けになることもありますが、一番の理由はミクロで被災地の実情を感じて欲しいから。
義援金を否定するわけではないが、やはり現実逃避の娯楽に使われている実情等を現地の被災者・支援者から実際耳にしていると、

本当の支援とは

ということを考えざるを得ない。


特に平島氏はご自身のブログで活動を逐一書き綴っているので寄付をしたら被災地のことを考えざるを得ないのでお勧めです。
彼の痛烈な言葉は心に響きます。
ゆえに受け止められない方もいるでしょう。
それはそれで仕方がないです。
見た目はひょうきんなおじさんなのに本当に痛烈なので。

日経↓
http://www.nikkei.com/news/special/article/g=96958A88889DE1E4E7E6E4E3E0E2E3E4E3E3E0E2E3E3E2E2E2E2E2E2;q=9694E2EBE2E7E0E2E3E3E1E5E1E2;p=9694E2EBE2E7E0E2E3E3E1E5E0E5;o=9694E2EBE2E7E0E2E3E3E1E5E0E4




ふんばろうの寄付サイト→ http://kauloco.com/

2011年11月14日月曜日

第四回 Music Caravan@大槌 (続き)

時間が押している中、午後は大槌の赤浜というエリアの仮設へ行く。
ここで通過したエリアは被害が大きいと感じた(どこも酷いのですが)。
根こそぎやられている南三陸にそっくりだった。

この日、このエリアに復興食堂という店が地元の若者達によってOPENしたということでそこに連れて行ってもらえる予定だったが、時間が押していたため通り過ぎるだけになった。
またの機会に是非いきたい。

仮設集会所に着くなりバタバタと楽器とコーヒーの準備をしてほどなく始める。
一件目の仮設集会所もそうだったが、皆で集まれるように座布団が欲しいと一同思った。
ふんばろうのハンドメイドプロジェクトで製作材料だけでも何とかお願いしたいな。
そんなわけでこの日は外のベンチを仮設の方と一緒に中に持ち込んで座って頂いた。
即席感あふれる会場。

この会場では来場者にジャズが好きそうな方が自分のすぐ目の前にいて、頷きながら聴いている様子を横目で見ていた。
一時間ほど演奏して終了。

そして14:46分を迎えた。
黙祷を捧げる時間。
すっかり忘れていたけど、この日で8ヶ月が経過した。
ふんばろうの村上氏が音頭(?)をとって黙祷。

それまで音楽とコーヒーでわいわいしていた会場の雰囲気がひっそりと鎮まる。

目を閉じた瞬間、色々な感情が塊になって自分に入ってくるのを感じた。
被災者の方々と現地で黙祷するのは初めて。
それまで楽しいイベントをしていたからか余計に感じた。
こんなに深い悲しみなのか。
声を挙げて泣く人はいなかったが、痛いほど感じた。
一分間がとても辛く長かった。

黙祷を終え、ハンドメイドプロジェクトのお土産を渡して会場もお開きに。

その時、帰り際に一人のおばあちゃんが
「ありがとうございました」
と声をかけて下さった。
「亡くなった人達にも聴かせてあげたかった」
胸に突き刺さった。

横を見ると案の定、リーダーの程島が泣いた。
一回目の釜石で現地の方に、被災者の前であなたが泣いちゃだめだよ、と言われたのに。
でもこれは仕方ない。
私も何とも言えない気持ちでいっぱいだった。
でもその反面、現地の方の本心に初めて触れる事ができたようでうれしくもあった。

被災者の気持ちはどんなにもがいても当事者にしかわからない。
私達にできるのは横で耳を傾けることだけだろう。
今回は演奏という形でそれができたのかもしれない。
今後はもっと寄り添った形が必要かなと思いつつ、おばあちゃんの言葉に感謝した。


後片付けをしてから、遠野まごころネットの杉浦さんにしばらく話を伺って仮設を後にする。
第四回目のMusic Caravan終了。

この日は、翌々日の郡山でのガイガープロジェクト講習会を控えていたのでそのまま米沢の実家に帰るつもりだったのだが、今回のMusic Caravanをどうしてもしっかり消化したいと思い、メンバーと一緒に東京に帰る事にした。


色々なことを考えながら帰路についた。
途中運転手以外が寝静まった頃、おばあちゃんの言葉を思い返し、我慢していた涙がしばらく止まらなくなってしまった。

被災地は少しずつ前を向いて進んでいる。
いつまでも引きずっているわけにもいかない。
でも、被災者は深い悲しみを経験している。
それは心に留めておかなければいけないなと改めて思い知らされた。

そんな被災者に対して、自分がこれから何ができるのか。
それが本当に最適なのか。
いつまで続けるのか。
原点を見失わずに見極めていきたい。



程島さんのブログでより詳細がわかります↓

第四回 Music Caravan@大槌

11月10日、11日と第四回目のMusic Caravan に参加してきました。

今回は岩手県大槌町の仮設集会所での演奏。

一日目は朝に東京を車で出発、夕方に岩手の遠野に着き、遠野まごころネットで作業から帰ってきたボランティアの方々に向け一時間程演奏。
皆さん結構のりのりで聴いていた。
現地ボランティアに対してのイベントはあまりなく、こういうイベントはもっと欲しいということだった。
音楽だけでなく、フィジカル・メンタルでのケアも多分必要な人がいるはず、、、と、ふと、いわきで離脱中の支援者を思い出してしまった。地元の人達を後ろで支え続けて体を壊してしまったあの侍、どうしているのやら、、、。

福島は瓦礫撤去は一通り落ち着いている感じだが、岩手はボラセンの外に作業道具をずらっと干してある様子を見て「まだまだ」なんだと気づいた。

翌日は釜石駅で担当の方と待ち合わせて大槌の仮設へ向かう。

釜石では第一回目のラストを飾った新生釜石協会へ立ち寄る。
牧師さんは「あの時は自由で良かったなー」と相変わらずの調子。
第一回目で教会前の道路を勝手に封鎖しようとしたファンキーな方だ。
周辺の様子は少しずつ片付いているなという印象もあったが、何より明るい雰囲気がどことなく感じられた。
天気が良かったせいかもしれないが、前向きな雰囲気を感じた。

教会を後にし、いざ大槌へ。
瓦礫はほぼ撤去されているが、南三陸に匹敵する壊滅ぶりに久々に圧倒される。
「ここもこんなに、、、」
何より5mくらいあるどでかい防波堤が所々崩れているのを見て、津波の破壊力を想像させられた。
そんな状況を見ながら仮設にたどり着く。


一回目からこれまで花プロジェクトも併せて行われてたが、今回は花屋の樋口さん(http://www.087kun.com/)の都合があわず花がなかったため、「何か代わりの物がないか」と考え、以前から考えていたコーヒーを急遽持ち込んでみた。
ちゃんとした設備は望めないのでできるだけ簡単にできるように、コーヒーミルとスタバのステンレスフィルターを前夜に持参することを決定。
これがあればどうにかはなるだろうと。
豆は結局手に入らず、ローソンで挽き豆を買う形になってしまったけど、集会所にほどよく香りを漂わせることができたので結果おーらいということで。
同行のふんばろうの河野氏がバリスタとして僕の想い付きを実現させてくれたので感謝です(あれもない、これもない状況でほんとに、、、)。


仮設集会所は20畳ほどの広さで一件目は7月頃から入居が始まっていたけど集会所でイベントをやるのは初めて、と聴いて驚いた。
健康相談くらいで使うだけだったとか。
同行していただいた遠野まごころネットの生活サポート担当の杉浦さんにこの件訪ねると、小さい仮設より大きい仮設で大所帯でイベントが行われるケースが多く、杉浦さんはあまり行き届いてない所を今回選んでいるとのこと。
イベントの場所は担当次第になる様子で、杉浦さんのように考える人がいなければ小さい仮設での行事設定はないようだった。
イベントの目的の一つは引きこもり老人を出てこさせる事にあると思うので、そこらへん是非バランス良くやって欲しいなと思った。
ちなみにご来場頂いた入居者の方々に聞いたら大和ハウスの仮設は気密性が高く寒くないとのこと。
動くのが億劫なお年寄りは冷え込めばますます引きこもることこの上なし、と感じた。


集会所には総務省のラベルが貼ってあるNECのノートPCが二台置いてあった。
これもまた使われていない様子。
「役所は仮設にモノを置いてくだけ置いていって何の説明もないのよ。置いていくだけで使い方の説明なかったら結局使えないでしょ?」
と仮設のおばちゃん。
ふんばろうで動いているPCプロジェクト(http://wallpaper.fumbaro.org/infrastructure)は支援PCに加えこの総務省支給のものもあわせて使い方のサポートをする。



おばちゃんは加えて「プリンターが欲しい。できれば複合機の、、、」とのこと。
情報収集するはいいがアウトプットできなければ皆さんと共有は難しい。
プリンターが必要というのは最もな話だ。
自分の普段の生活でもプリンターなければ不便を強いられるのは想像すればわかるだろう。
情報格差による支援の差が被災地では出ている。
PCとプリンターはやはり生活の復旧上「支援すべきもの」と僕は感じた。

とりあえずこの場では我が家に売ろうと思っていた旧式のプリンターがあったので、それをこちらの仮設に送ることにした。
複合機でなくて申し訳ないが、当分はないよりましだろう。


と、だいぶ演奏の話からそれていますが、現地の方との距離が非常に近かったため多岐に渡る問題が今回の旅ではたくさん見つかった気がしています。
全体的に物資支援は収束しているけど、インフラ面で最後の一押しが必要に思います。
ここをしっかりやるかどうかで、今後の復興のスピードは大きく変わってくるはず。

つづく




程島さんのブログでより詳細がわかります↓
http://sun.ap.teacup.com/moonandsand/

2011年11月12日土曜日

告知

【RT願い】本日11月12日(土)14時から表参道ヒルズで、日 本赤十字社とNHK主催の赤十字シンポジウム2011「たすけあ う世界へ 〜東日本大震災でつなげていく支援の輪〜」にふん ばろう東日本の代表として登壇します。参加無料。当日参加可 です→http://fumbaro.org/news/2011/10/2011.html 東京:11/12(土)赤十字シンポジウム2011に リストとして参加します fumbaro.org 11/12(土)「赤十字シンポジウム2011」に、 本支援プロジェクト代表・西條剛央がパネリス ます。 入場無料(事前申し込みが必要)ですの 加ください。

2011年11月3日木曜日

音楽で被災地支援

来週急遽、岩手の仮設をまわることになった。
7月、8月と参加させて頂いたMUSIC CARAVANでの音楽巡業になる。



さてさて今回はどうなるかな。

遠野まごころネットでお世話になる。
http://tonomagokoro.net/

2011年11月2日水曜日

線量計貸出し

先月、米沢の支援センターに置いてきたガイガーカウンタープロジェクトのチラシから貸出しの問い合わせたきたらしい。

富岡町の方が一時帰宅の際に利用したいとか。

線量が高いエリアなのでイレギュラーだがTERRAも一緒に貸し出すとのこと。

やはりニーズはあるようだ。

米沢で一時帰宅の需要があるならば山形市のほうもアプローチかけたいなと思った。


あとは新潟も避難者は結構いるはずなので、そちらもフォローできればな。。

2011年10月31日月曜日

増加中@米沢

先日、米沢の支援者からガスコンロの追加依頼がきた。
ニーズが新たにあがってきたのと、やはり避難者が増えたらしい。

一方で山形県では転勤等の受け入れ先の確保のため、県としての住居受け入れは一応閉め切りになったとのこと(応相談ではあるようだが)。

これから間もなく冬を迎えるが避難者はどう推移していくのか。
気になるところ。


2011年10月30日日曜日

県外避難の子どもへの支援

現在、ふんばろうのメンバーとふんばろうとは別枠で都内の県外避難者へのフォローを思案中。
その中で、子ども向けのワークショップを行っているSCSK株式会社という会社が有り、そこのシステムを活用し子ども達にワークショップを開催しようと準備を進めている。

同席するファシリテーターとしての研修を受ける必要があるので来月から3回参加予定。
メンバー募集中です。

http://www.camp-k.com/kodomo/introduction/

2011年10月27日木曜日

吉田松陰

先週末、山口県の萩・下関にて吉田松陰の勉強会に参加してきました。
私は被災地支援は日本の立て直しにつながって行くと信じているので(つながらないと日本は終わりだと思っている)こちらにFacebookで書いた内容を転記させて頂きます。
※以下




【下関・萩】
山口県の萩・下関にて吉田松陰の勉強会に参加してきた。
歴史(年表)は好きではないのだけれど非常に感化される二日間だった。
塾生の発表、講義、留魂録の輪読や関連遺跡見学。
中でも衝撃的だったのは萩にある松陰の叔父・玉木文之進の旧宅にて行われた松陰研究者の岡田幹彦先生の講義。

松陰ゆかりの地で六畳一間に全員座しての講義がさながら松下村塾だったためか、岡田先生は感極まり何度も目頭を熱くして吉田松陰の神髄を語ってくれた。
日本とはどういう国なのか、日本人としてのアイデンティティーを突きつけられた。
何とも言えない感情がこみあげ、途中から涙を抑えるのに必死だった。
先生の涙に誘われてではない。
「日本とは」を滔々と語る松陰の言葉が妙に心をえぐってくるからだ。
歴史の話で泣くとは思いもよらなかった。

そして岡田先生の吉田松陰への強い愛を感じた。
ここまで自分の敬愛する人物をうれしそうに、しかも涙を浮かべながら他人に力説する人は、宗教信奉者でもそうはいまい。

私達は自分の国と歴史を知らなさすぎる。
そう感じた。
考え方、好み、人それぞれだが、日本の根源を語る吉田松陰の言葉は無視できないものと思う。
今の日本のあり方に疑問を感じるならば、岡田幹彦先生の語る吉田松陰を一度是非聴講して頂きたいと思う。
そこに問題の根源がある。

2011年10月19日水曜日

雪国越冬プロジェクト??

県外避難の中で、豪雪地帯へ避難しているところが心配になっている。

米沢、会津、新潟。

主にこの三カ所かと思う。

雪国の冬物は一から買いそろえないとなかなか越冬は厳しいと思う。

靴からして、都会と違い、ブーツなどは履けない。
スパイク付きの長靴。

初シーズンだけでも少し支援できないかなと勘案中。。。

子ども物が特に必要かな。

雪かきグッズに関しては米沢は特に行政からの支援予定はない。

会津のほうは出るらしいが。

2011年10月14日金曜日

PCプロジェクト〜ふんばろう東日本支援プロジェクト


PC環境整備プロジェクトでも、とても御世話になっているYahoo! JAPANさんが復興支援のページにて当プロジェクトを御紹介して下さいました。


http://shinsai.yahoo.co.jp/
shinsai.yahoo.co.jp
震災に関連したインターネットサービスや機能をご紹介しています。被災地域の支援や、最新情報の確認にご利用ください。

2011年10月12日水曜日

日常へまた一歩

私が度々お世話になっている、いわき市久之浜の諏訪神社(正確には北いわき再生発展プロジェクトチーム)では、今後週末のみの活動となるという話をメンバーから昨日聞いた。

被災しながらも地元の若者達が瓦礫撤去等に日々積極的に取り組んで活動していたが、皆仕事が決まり、生活を日常に近づけていく段階にきているようだ。

代表の高木さんも「自分の生活がまずあっての、本来のボランティアの形にしていく」とのこと。

まだまだ問題は多く楽観視できるわけではないけど、着実に復興へ進んでいるんだなと感じた。

とはいえ福島全体で見るとまだまだやるべきことは腐るほどある。
放射能の問題ばかり注目されるが、それに付随する諸問題は現地にいなくても、東京にいたって支援できることがたくさんある。
その事に皆さん気づいて欲しい。

経験者が語る〜阪神淡路大震災の教訓

阪神淡路大震災の経験・教訓が東日本大震災で生かされている。
わかっていてもなかなか改善できない場面もあるが、それでも過去の経験が生かされたおかげで救われている人はいるはずだ。
即座に現場で動いていただいたお陰で今がある地域は少なくないはず。
米沢もその一つ。
あまり面沙汰になっていないのも、恐らく適切な運営ができる人材がいたからだと最近気づく。
そうじゃなければもっと混乱が続いていたんじゃないだろうか。



昨日、ふんばろう内でシェアされた阪神淡路大震災の支援経験者のブログをご紹介します。
これを読むと、やはりまだまだこれからなんだな、と身が引き締まる思い。
現地でフェーズは変わってきているけどやはり楽観視はできない。
福島は尚更です。

「わたしのフクシ。」
http://watashinofukushi.com/

2011年10月8日土曜日

ハンドメイドプロジェクトから作製キットの支援

ふんばろうのハンドメイドプロジェクトは、主に女性の方々に人気のプロジェクトだ。
夏前頃に出来上がり、誰でも参加しやすく、特技を活かせるので爆発的な勢いで参加メンバーを増やした(おそらく)。

初期の段階では被災者に手造りのモノを届けようということで、匂い袋や草履等をプレゼントしていた。
また仮設住宅の集会所でワークショップのようなものも開催している。


先月からは材料=製作キットのような形で被災者にプレゼントし、皆さんで作っていただこうという材料提供班がたちあがった。

先日、早速こちらの件を米沢の支援者センターの方に持ちかけ、了承を得た。
米沢の支援者センターでは毎週水曜にお茶会として避難者が交流を深める場を作っている。

せっかくなのでそのお茶会の企画として、皆さんで一緒に手作業をして頂こうというのが、材料提供の狙い。

避難先はどこでもコミュニティができていないのが問題の一つであった。
そういう状況を変えるきっかけのひとつは、何かを皆で作ってもらうという行為だ。
共通の目的に向かって作業することで、人間というのは少し心が通じてくるものらしい。
今回はたまたまアクリルたわしキットを提供できる方がいたのだが、幸いにも日用消耗品を節約したいと思っている米沢の県外避難者にとっては、洗剤を使わなくて住むアクリルたわしはなかなか利にかなっているのでは、と密かに期待している。

定期的な開催ができるようにフォローしていきたい。


2011年10月5日水曜日

県外自治区

今県外避難している福島県の市町村に対して、自治区を認めてはどうかと前々から密かに思っていた。

もちろん「戻ることができるようになる」という前提になってしまうが。

自分の住んでいた土地がなくなる、国がなくなる、町がなくなる。
こういう状況はどれだけしんどいか、経験してみないとわからない。(なのでもちろん私にとっても未知の領域)
人生がごっそり奪われたようなものだ。

そんな状況で避難生活を続けてまともな人生を送れるわけがないし、いつまでも続けていたら避難している方々の感覚が本当におかしくなってしまう。

(現に、郡山のビッグパレットでは避難者格差が起こっているという話を聞く。
沿岸部の津波で全てを流された避難者はお金がない。
原発で避難してきた避難者は仮払い金があるから夜な夜な高級料理やら風俗やら、先を考えない贅沢な生活を送っている方もいるそうだ。)

個人的には、どこの被災地でも最終的には「そこで生活する人たちがどうしたいか・どうするか」にかかっている。

もちろん賠償すべきものは当然するべきだが、考えうる最大限の周りからのサポートがあったとしても一番必要なのはそこに生活する人達の気持ちと行動だ。

それに備えて少しでも、土地を間借りしてでも、県外の土地で自治区を認めるべきではないかと私は思う。

国は責任としてそれくらいの措置をとるべきだと思う。

避難者の様子を見聞きする限り、都内は感覚的に合わないようなので難しいだろう。
しかし米沢など、地元に近い感覚で生活できる地域であれば(気候的な違いはあるにせよ)多少土地にも余裕があるだろうし、しばらくの間、避難自治体に貸してしまったほうが良い気もする。
そいういう中で労働に対する意欲や、生活に対するけじめなどの気持ちも多少なりともで来るはずで、飼い殺しのような今の状況を少しは改善できるように思う。

人権を認めるのであればそういった措置を考えるべきだ。

今の避難生活はあまりにひどい様に思う。
放っておけば人間が壊れる。

長期戦を覚悟すべきだが、その前に早急に対策するべきことがあるように思う。












2011年10月4日火曜日

学校給食について

【学校給食】
土曜は中学時代の養護教諭の先生のお宅へお邪魔して色々とお話を聞く。

石巻の給食の話をしたところ、米沢では最近、小中学校の給食がすべて自校給食に切り替わったとのこと。
私の時代は中学校は弁当だったのだが、小学校の生徒数が減ったため小学校で中学校の分もまかなっているらしい。
先生の働きかけもあっての流れらしいが「米沢の学校給食は今日本で一番すばらしい」と絶賛されていた。

学校給食は義務教育の一環であるなら、やはりそこには手間をかけるべきだろう。
配給された食料は顔がみえないのでありがたみも薄れる。
毎日給食のおばさんが作ってくれるからこそ意味がある。
自校給食は是非続いてほしい。

と同時に給食に対して、栄養摂取の個体差についても先生と語り合った。
給食を残さず食べなさい。
バランスよく食べなさい。
これは成長度合いの違う個々を無視している。
先生も現役時代にそういう指導をしてきたが「あれはよくなかった」と仰っていた。

栄養摂取量の個体差は別に子どもだけではない。
大人も個々で必要なものは微妙に違ってくる。
食物繊維を多めにとったほうが良い人もいれば、タンパク質をあまりとらないほうがいい人もいる。
人それぞれ消化能力が違えば、燃費も違う。

食に対してもっと敏感になって欲しいなと思う。

県外避難者〜米沢市


昨日ようやく米沢の支援者センターのキーマンとお会いできた。
何人か大学の先生も本を書くとかでいらっしゃり、皆で事務長代理(南相馬小高区)の話を聞きながら意見をかわす。
米沢では地震直後に警戒区域から避難してきた方々が、自主避難受け入れの窓口として活動している。

色々話しを聞いていて初めての豪雪地帯での冬は揃えないといけないものがたくさんあることに、地元の人間のくせに今更ながら気づいた。

反射式ストーブ、冬用のブーツ・長靴、子どものスノーウェア(?)、手袋、スノーダンプ、スコップ、etc...

雪国では全て必須。
これはかなり痛手。
さてどうする。

http://yonezawanet.jp/oide/#DATABLOCK
yonezawanet.jp
山形県米沢市の地域ポータルサイト「米沢ネット(よねざわネット)」は米沢市民が発信する米沢市の総合サイトです。
 · 

2011年10月1日土曜日

Radiation-watch.org

このようなサイトを発見。
組み立て式の簡易線量計を提供しているようです。
ちょっと興味あり。
一般の方が手に入りやすい線量計の開発研究してるようです、素晴らしい。

http://www.radiation-watch.org/p/blog-page.html

2011年9月28日水曜日

放射能に関する教育

いわきでは確かそろそろ小中学校で放射能に関する授業が始まる。
子どもに対してどのレベルまで教えるのかというのは今後の長期的な経過を見守る中では非常に重要になってくる。
親があれこれ言っても、言うこと聞かないのは子ども性だと思う(素直な子もいるが)。
悪戯心で内部被曝になってしまっては困るので、「なぜダメなのか」を科学的な知識に基づいて感覚的にでも理解させてたほうが良い。

逆に明確な理由がなく「危ないからダメ、近づかないで」の一点張りでは、それこそ子どものストレスになるのではないだろうか。
「こういう理由だから危険なのだ」と感覚的にでもわかれば、子どもなりに理解をして対応はするだろう。

ちなみに下記は放射能教育推進委員会で作っているサイト。
http://www.radi-edu.jp/

放射能の危険性はあまり全面に出されていない、というか、なさ過ぎやしないか、とも感じる。
これで子ども達自身が身の安全を守れるようになるとは思えない。

義務教育の中での放射線授業は恐らく、国が関わる以上原発推進に都合が良いような形になる可能性が高いのは、これまでの様々な報道を見ていれば容易に想像できる。
事実をねじ曲げさせず、安全に生活する知恵を正しく伝えて行かなくてはならないと思う。
子どもの将来を心配するのであれば、子ども達が自ら判断して生きていくために放射能教育は注力すべき課題だ。



測定講習会in 久之浜(ガイガーカウンタープロジェクト)

一昨日の9月25日はいわき市久之浜の久之浜第一小学校の体育館にてガイガー講習会第二回目を行った。

開校へ向けての除染のためにPTAからの要望で今回の講習となった。

と、その講習会の前の午前枠に、原発作業を請け負っている地元企業を迎えての除染説明会があった。
基礎知識は我々とかぶる内容もあり、且つ専門的で非常にわかりやすいものでさすがという所。内容も若干かぶるのでこの後に講習会はやりづらいかなーという不安も。

ただ、最終的に「じゃあ測りたいんですけど」というところで内容が終わってしまい個人的には違和感を覚えた。
ここから先は有料で除染しますよってことなのかなーなど色々勘ぐってしまう(南相馬では除染業者間の激しい抗争があるらしいので)
我々がそのあとを補足するような形になり結果的は良かったような気もした。

第二回目となる講習会は前回の南相馬鹿島区より持ち時間が短かったため、少し巻き気味での進行だったが割とスムーズに進められた。
参加者は当初の事前申し込みの方は1割程度の3名ほどで(汗)、残りの20名くらいの方々は事前の除染説明会からそのまま残って頂いた方々だった。
やはり実際に自分たちで測りたいニーズは高いのだろう。


講習会では前回同様、「座学→実習→座学まとめ」 という流れだが、やはり実習で実際に機器をいじり、測定してみることでようやくわかってくる様子だった。
やはり座学で校正倍率がどうのこうの言ってもちんぷんかんらしいw

半年がかりで徐々に軌道にのってきたガイガーカウンタープロジェクト。
次回はどこで開催になるのか。(県北っぽいが、、、)


※いわき市のような低線量域(0.3μsv/h未満)では簡易測定器で精密な数値の測定は難しい。しかし値段、供給不足等の問題から現状では一般人が精度の高いシンチレーション式の測定器を用意するのは限りなく難しい。ふんばろう東日本のガイガーカウンタープロジェクトでは簡易測定器なりになるべく正しい値に近づけるように県の定点観測地点の値を基準に校正倍率を求め、貸出し機器毎に換算表を付けている。
http://geiger.fumbaro.org/rental/gc-spec

2011年9月26日月曜日

道の駅よつくら港

道の駅よつくら港。
http://www.429-love.jp/ivent/ivent.htm


いわき市四倉の港にある道の駅。
昨日はたくさんの凧があがっていて壮観だった。(運転中で写真撮れず)

こちらはいわきのボランティアで初めて来た場所。
湯本にいる叔父の親戚が亡くなった町でもある。

五月くらいから支援物資の配布イベント等も行われていたが、現在いわき市は被災者への物資配布はほぼほぼ終わっている。

本当に必要な人はごくわずかで、6月頃から既に物資支援を行ってきた支援者や支援団体は無料配布を打ち切っている。
地元経済の圧迫を懸念してのこと。

ただ「本当に支援が必要な人」がどれくらいかの見極めは難しいらしく、それは失業雇用保険給付が延長になったりしてるのが理由。

警戒区域内から避難してきた住民も仮払い金で、贅沢な飲食や風俗等に利用して、その場限りの消費をしている人たちも中には結構いるらしい。
そういう人たちはまだ資金的な体力がまだあればいいが、段々と問題が顕在化してくるような気がしてならない。
非常に心配。


2011年9月24日土曜日

ふんばろう東日本チャリティイベントコンサート


いよいよ明日ですが、当日券もありますのでお時間空いていらしたら是非ご参加下さい。
若干都内では風化している感もありますが、南三陸からのゲストの声も聞けます。
被災地のあの時と今を感じて下さい。
【日時】2011年9月25日(日)11:00 開場/11:30 開演 
【会場】リーガロイヤル東京 ロイヤルホール (地図フロアマップpdf
【主催】ふんばろう東日本支援プロジェクト
【料金】3,000円(消費税込)※前売、当日ともに
※全席自由

<第一部>
三浦美香(南三陸町)「被災地のあの日から今までを語る」
<第二部>
西條剛央(早稲田大学大学院)
「ふんばろう東日本支援プロジェクトの今日に至る経緯と今後の展望」
<第三部>
土居裕子 コンサート
楯 直己(Native American Flute)
貞光裕美子(Piano)



http://d.hatena.ne.jp/keyword/3%C9%C3%A5%EB%A1%BC%A5%EB

2011年9月23日金曜日

3秒ルール


子供向けの放射能の絵本ってあるんだろうか。
ガイガー講習会の託児所(仮)に置きたい。

被曝を少しでも回避するならやっぱり子供本人が正しく知っておかないと、大人がいくらあれこれ手を焼いても意味がないと思う。
子供は大人の目を盗んで「だめ」と言われたことをするのが性ですから。

僕が個人的に気になっているのは「3秒ルール」がどうなってるのか。とか。
こないだアイスを食べながら歩いていたら、落っことしてしまい、悩んだあげく、久々に3秒ルールを適用して拾って食べたのだが、その時ふと「子供達は3秒ルールやってやしないだろうな」と非常に不安に思った。

平成チルドレン達が3秒ルールなんて知らないならそれでいいんだけど。
もしその都市伝説的ルールがまだ生きてるなら、公的(教科書とか行政とか)に3秒ルール禁止を呼びかけるべきでは、と最近気になってます。


健康の基本は食生活から〜放射能に負けない体作り

ツイッターでやたらと放射能を気にしている人を見かける。

 子供への影響を心配する気持ちは(自分は子供はいないが)良くわかる。
 ただ、それを細々と気にするなら、それ以前に普段子供に食べさせているものにももっと注意を払うべきだ。
 そこをスルーして放射能の心配ばかりして騒いでいるのはちょっと違うかなと正直思う。 

出来合いの食品は添加物も多く、その中には発がん性物質も多く含まれる。
放射能での心配の一つはガンだ。
ガンは細胞の異常から起こるもので、現代の日本人にガンが多いのは肉中心の食生活に変わってしまったことが大きな要因の一つとされている。

 放射能の影響で予想される症状はそれだけではないが、ガンに対しては今すぐできることとして、食生活の改善と、健康健全な体作りが最も有効な手段かと思う。

 子供の将来を懸念して放射能を気にするのであれば、身近な食生活にももっと神経質になるべきだと思う。

県外避難について

今日は大手町で、都内に避難している避難者の子供向けワークショップを行おうという企画のミーティングに参加。

 ふんばろう関係の方々で動いているのを嗅ぎ付けて参加したわけだが、成り行きで自分も3回ある研修に参加し、ワークショップのお手伝いもすることになった。 
きっかけ作りとしては悪くないと思う。
 CSKという会社がもともと持っているプログラムを利用させてもらう形になるが、子供を集めて何かを企画をする際にもスキルは役立つと期待する。

 先日、ツイッターで「山形県知事が県外避難者への支援を訴えていた。素晴らしい」
というような(ちょっと曖昧だけど)ツイートを見かけた。 これは恐らく、「素晴らしい」と評価されるものではなく、県外避難者を受け入れる側としても切実な問題があるからだと思う。

 私の実家の米沢では原発事故直後、南相馬市民がごっそりと避難してきた。
今はその中で地元に戻っている人もいて、そのかわり、福島市等で子供を抱える家族が避難、もしくはこれから避難してこようとしている。
米沢へ避難しようと思っても、生活品(家電等)の兼ね合いもあって、すぐにはできない現状もあるようだが。。。
 で、切実な問題とは雇用である。
 もともと田舎は仕事がそれほどない。
 そんな中、米沢市では福島県からの避難者を雇用した企業に一人あたり、補助金のようなものを出し、採用を促す制度をとっている。 これで困ってくるのは当然米沢市民だ。 
極端に福島の人に仕事が取られるとは思わないが、自分が経営者だとして考えた場合、苦難な状況を抱えた人の方を応援したいし、仕事も頑張ってくれるように思ってしまう気がする。

 もし、そうなった場合の地元人の不利な状況はなんとももどかしい。 
都内へ避難してる世帯でも旦那さんは福島に残って仕事をしている「逆単身赴任」的なケースもあるので、一概には言えないが、今後地元の雇用に問題が生じてくるのは間違いないと見ている。 そういう状況もあるので、自分はやはり県外避難者もスルーできない問題になっている。

また、 県外避難によるコミュニティの崩壊も気になっていたが、今日参加したミーティングで、都内避難の一部の住宅では互助会(自治会のようなもの)が先日結成されたらしく、それを聞いて少し安心した。 被災地の仮設と同様、あるいはもっと複雑に県外避難世帯住宅地もコミュニティーの問題がある。 色々不満やら気に食わないことは有るだろうが、お互い助け合っていける環境を作らないことには次に進めないと思う。 
子供向けの企画をきっかけに、親同士のコミュニティ作りの足がかりを作れれば良い。

2011年9月22日木曜日

台風襲来〜防災対策〜今後の異常気象

台風15号、横浜も凄かったが、被災地は思った以上に被害を受けたようだ。 おまけに地震まで来たから一瞬ヒヤっとしたが、、、。 地元の山形もいくつかの河川に警報出されていた。 こういうことって今までほとんどなかったのでびっくり。 被災地沿岸部は地盤沈下で下がっているから今回の台風は相当怖いだろう。 久之浜で70cm下がっている(80だったかもしれない)。 仮設が床上浸水した所もあるらしいので何とも複雑な思い。 今回Twitter上で首都圏の台風被害についてのつぶやきをチェックしていて気にとまったのが 「ニュースで厳重な警戒を、と報道しているのに、会社や学校は普通に勤務・通学させている。」 という内容。 これ、当たり前のようで非常に問題だと思う。 何かあってからでは遅いのに、対応が遅いと思った。 台風が来てる間、新横浜のスターッバックスで昼からずーっと作業してたのだが、風が強くなりだしてから すぐ救急車が2台も市街地に来た。 東日本大震災であれだけ痛い目に遭いながら、結局緊急時に何も対策をとらないのが現状かと思った。 地震以降、被災地に何度も遅いかかる大雨等の自然災害だが、おそらく異常気象によって今後も今までの常識から すると想定外の災害が頻発する可能性がある。 先日の台風12号の災害もしかり。 これくらいなら大丈夫なはず、ではまた取り返しのつかない事態になりかねない。 とちょっと危機感を覚える一日だった。

2011年9月19日月曜日

ガイガーカウンター講習会&野焼き


来週はいわき市の久之浜にてガイガーカウンター講習会をするべくメンバー一同で準備中。
各地でニーズが出てきている。
特に子持ちの女性の関心が高い。
現地の協力者が作れると良いのだが。。。




ところで、最近福島県内で野焼きが問題になっているようだ。
もう秋冬作物に備える時期がきた。

何が問題かというと放射線に対して関心を持っている、危機意識を持っている人は危険だから野焼きをするな、というが関心の薄い人はおかまいなしに野焼きを行おうとするらしい。
※関心が薄い人、だけではないとは思う。何となく不安に思っていても仕事はするしかないから、もうどうしたら良いかわからないから動いている方も大勢いるのだと思う。明確な方針、指示が出ないからこういう事態になっている。

行政が明確な方針を出して早急に指導しないと、大気中に放射線物質が巻き上がる結果になってしまう。

行政の動きの遅さには非常に困ったもの。
このままだと県内はおろか県外各地にも飛散しかねない。



義援金の行き先

震災当初、多くの人が義援金としてお金を募金した。
私もその一人。
何もしないよりは、と思い迷いもなく募金した。
少ししてから「どうやら日赤の義援金はすぐ被災者に届くわけではないらしい」
ということがわかった。
それを知ってから義援金より直接届く形で支援したい、と支援物資等の直接生かされる形の支援に変えた人は多いと思う。


先日、南相馬を訪れた時、地元の支援者の話を聞いて少しがっかりしたのは義援金が届いたとしても使われ方は被災者次第なのだということ。

話によると南相馬では義援金の大半はパチンコ代に化けているらしい。。。
地震、原発事故が起きてから割と早い時期に、地元のパチンコ店に開店を要望する人が多数いたとのこと。
営業している店もほとんどない状態の中で、パチンコ店は唯一大盛況で営業していたとのこと。
地元民であり、支援者でもある彼は少し残念そうにこのことを話てくれた。

義援金が娯楽に使われているとなると、ちょっと残念ではある。
一時的な心のよりどころとしての役割もあるだろうから、一概に悪いとは言えないが。

お金がなければどうしようもないが、お金以外の部分が大切なんじゃないかと思う。
こういう状況だからこそ、やはり必要なのは直接的な支援ではないだろうか。

現地へ赴いて、地元の方の声を聞き、心に寄り添い、直接手伝う。
ここにお金を使ったほうが遥かに被災地の今後のためにはなるのだろうか、とも思う。









2011年9月18日日曜日

海空フェスティバル

海空フェスティバル
http://umizora.jp/


ふんばろうの程嶋嬢の同級生が企画して6月のイベントでは1万人の動員数となったイベント。
震災で落ちこんでいる地元を元気付けようという趣旨のイベントとのことですが、今回は程嶋さんも運営に加わって、被災地支援のブースも出すとのこと。

ブース出展者も商店街を足で回ってお願いしたというから凄い。
湘南の方は是非チェックして頂きたいです。

11月25日(金)、26(土)の二日間の日程。

2011年9月13日火曜日

ECOTESTーTERRA

先日、ふんばろうに測定器を寄付して頂いた会社がECOTESTの正規代理店だったことを知ったので、簡単にご紹介を。
株式会社アンビエント
http://www.ambient.ne.jp/

TERRAはメモリー付きで積算線量も測定できるので、除染作業や高線量地域等の滞在時間が多い方は被曝量を知るためにちょうど良い測定器です。
基本的な使い方も非常にシンプル且つ、数値も安定してるので素人でも使いやすい機器でおすすめです。

2011年9月12日月曜日

被災地だけの問題ではない

先日、南相馬市鹿島区の講習会終了後のこと。
駐車場の向かいで、現地で活動しているふんばろう東日本〜の方と3時間あまり立ち話をした。

彼は警戒区域である南相馬市の小高区に住んでいたため避難生活をしながら、地元のために物資配布等の支援活動をずっと続けている。

直に会うのは初めてだったので、地元住民としての視点と支援者としての視点から色々と話を伺った。

南相馬市は原発事故によって住民感情が分裂し、未だに地元のベクトルがバラバラな印象が兼ねてからあったが、この日話を聞いてその現状を確信した。
いわきに出入りしてきた中で、各方面から見聞きする南相馬は明らかに何か上手くいっていない印象があったが、やはりその通りのようであった。

話の中で、外部からのボランティアに支援を受けている状態を脱却しないといけない、という話が出てきた。
私も今までの活動で感じたきたことだが、今後は現地の人たちが自ら復興のために立ちあがらないと何も始まらない。


こと原発被災地域に関しては展望が見えないことから、投げやりな気持ちも当然出てくるだろうから、自暴自棄になるのはしょうがないとは思う。

だが、現状に疲弊し、人生も残り少しと言い訳して何も動かない年配者にこそ、これからの代のために最後のひと働きをしてもらう必要があるんじゃないかと感じる。
なぜ子供、孫のために動かないのか。
自分達が良ければそれで良いのか。

彼も私も同じことを感じていた。

個人主義、自分勝手などは若者にレッテルが貼られがちだが、今回の被災地での動きを見聞きしていると、上の層にもだいぶそういった方々がいるように私には感じられる。
日本国民が全体的にそういう傾向になりつつあるのは間違いないと感じている。

訴訟するべきものは当然するべきだが、状況を改善するのは国でもなく、東電でもなく、我々自身ということに気づいてもらう必要がある。
これは被災地だけの問題ではなく、行き詰まっている日本と私達自身が抱えている問題でもある。
政府や国が何かをしてくれるのではなく、自分たちが各々考えて動かなければならない。
被災地の問題は被災地だけの問題ではない。


もちろん、これから引っ張ってべき行く若い代も動きが鈍いと感じる。
南相馬の彼の話では同年代で支援活動をしている人間はほとんどいないとのことだった。
家でゲームをしていたり、あまり仕事をしているような様子でもないとのこと。

以前、久之浜の諏訪神社の息子さんも似たような悩みを語ってくれた。
同期で協力してくれる仲間がいない、と。

今の20〜30代は全般的に余裕がない。
物好きじゃないとなかなかボランティア活動に避ける時間も資金もないと思う。
だが、現状を打開していくにはそこに力を少しでも注いでいかないと行き詰まっていくだけだと思う。
震災の復興というよりは、かねてからの問題だった、地域の復興を目指して動く時ではないだろうか。










自主避難によって生じた損害

【メモ】
対象区域外での自主避難によって生じた損害についても認められる可能性がある。
※ただし、検査費用や避難費用等の実費相当額に限られる。

Q10-10を参照。

http://www.ichiben.or.jp/shinsai/qa/qa10.html#qa3

参照:第一東京弁護士会HP

2011年9月7日水曜日

東北復興支援ライブ@築地

先日、参加した第一回 Music Caravan in東北の企画者、程島さん、およびメンバーの中村真さん、工藤悠さん、その時気仙沼でお世話になったギタリストの斉藤洋介さん、が出演するチャリティーライブが有ります。
急ですが明日。


※Music Caravan についてはこちら→http://ttmusiccaravan.jimdo.com/


被災地の宮城のアーティストを迎えての復興支援ライブです。
お時間あれば足をお運びください。


ピアニストの中村真さんは、綾戸智絵さんの伴奏者もされていた方ですが、
前回のMusic Caravanのツアーでファンになりました。
おすすめです。




9月8日(木)『東北復興支援ライブ』
OPEN18:15/START19:00
料金:ミュージックチャージ3,000円(おつまみ付)+義援金1,500円
izaura(vo)、斎藤洋介(Gt)、Kangi (Sax)、今村陽太郎(Ds)

サポーター
程嶋日奈子(bass)、中村 真(pf)、工藤 悠、木村 純(Gt)、Bruce Huebner (尺八)
鈴木 厚志(Pf)
http://www.shiozawa.co.jp/madeira/touhoku.htm