2014年5月30日金曜日

来月チェルノブイリへ

6/29〜ウクライナへ行ってきます。
CheFuKoとして、Kievで視察、Chernobylを視察、Zhytomyrで視察と支援。
今スケジュールを現地のカウンターパートと詰めております。

もともと9月に温熱軍団を派遣する予定でいて、6月に先遣隊を派遣しようという話になった途端、政権がひっくりかえって一旦様子見の状態でした。
そこにタイミングよく4月頭に先方から支援依頼のお手紙をメールでいただき、やはり行こうという話になり、先月から動いています。
在日ウクライナ大使館やら外務省やら教会やら、、、色々情報収集しておりました。
そこらへんは別に書きたいとおもいます。

あと一ヶ月切ってしまったのでできればご寄付にご協力頂けると助かります。
現地で直接本人のご自宅に伺って様子もみさせてもらって、寄付金を直接手渡す段取りでくんでおります。その上で、ご報告もさせていただきます。



詳細はこちらをご参照ください↓

CheFuKoウクライナ支援プロジェクト第一弾
「ドミトロちゃんを救おう!」





また、ウクライナ訪問の前半はチェルノブイリツアーを申し込み、視察してきます。
昨夜、一日工程では原発内の見学は難しいということがわかり、二日行程で予定を組みなおそうというところです。
社長は「原発内はできれば、でいい」と言っていたのですが、せっかく行くのだから、見るとこ見ないと意味がないかなと、、、とうか個人的に行きたいわけです。


ウクライナお詳しい方、情報お待ちしております。

2014年5月27日火曜日

足尾 森びとプロジェクト 植樹祭 (2014/5/24 )

先週の土曜は足尾へ行って来ました。

植樹です。


先月、南相馬の太陽の郷でお世話になった足尾の「森びとプロジェクト」の高椅理事のお誘いで、森林再生プロジェクト10年目という節目での植樹祭でした(参照)。
南相馬の太陽の郷の方々も、森びと南相馬支部ご一行として参加されました。


参加者総勢450名。
植樹本数3534本。
所狭しと植えまくる様子は、花見山とは全く趣が違う。


それもそのはず、鹿が若い木を食いまくっているからです。
その他、猿や猪など害獣は沢山いるらしいですが、それらの中で兎に角鹿らしいです。
帰り際、植樹エリアをゾロゾロと下山中に鹿が4匹がちゃんと現れました。
メチャクチャ速いです。
人間は足にも及びません。
鉄柵を作っても何処ぞから侵入してくるそうです。

この動物たちから生き残れるかどうか以前に、着荷率という問題もあるため所狭しと植えてもある程度間引かれてしまいます。

初めて訪れた足尾でしたが、山のハゲ具合にやはり驚きました。
採掘場のある渓谷沿い一体が亜硫酸ガスが流れてはげているのです。
丸々木などなくなっている山もあり、当時は一体どれほど酷い有様だったのかが想像し難い。

着荷率という言葉が使われるように、当初は丸裸の山肌に植物を植えようにも定着させること自体が非常に困難だったそうです。
土の板のようなものを杭で斜面に打ち込み固定してそこに植物を植えていくという、まさにゼロからのスタート。
10年経った今の状況を見るとどれ程大変だったのだろうと考えてしまいました。

最初は独自の方式に批判もあったようですが、実際に再生してきているため最近では林野庁にも認められ、森びとさんは徐々にその価値を認められてきているそうです。
日本発の技術として世界に認められる日も近いのかもしれません。
一昨日の22日は天皇皇后両陛下が訪問されたそうです。(こちらを参照

願わくは福島の復興のヒントも見つかれば嬉しいですが、、、


足尾銅山は日本第一号の公害に位置付けられます。
今回は植樹のみだったので、もう少し闇の部分についてもお聴きしたかったなと思いました。

そんなふうに考えていた矢先、先ほど森びとの高椅理事からお礼の電話を頂き「一日かけて、歴史も含めて案内するから時間ある時に来てよ」と有難いお誘いが。
次回は足尾銅山ダークツーリズムといきたいところです。


岸井さん、宮脇さんの挨拶

   奥は銅採掘のカスを山にまいて黒いそうです。

そこらじゅうに穴を掘ります。間隔は1mもなかったかと

30〜50cmの直系と深さで穴を掘ったら、堆肥と黒土をまぜて3分の1程度までいれてよく混ぜる。その上に苗をおいて掘り起こした元々の土をやさしくかぶせる。
最後に過ぎの木のクズを保湿と肥料効果を狙って苗の周りにしきつめます。
みなさん「マルチ」と呼んでいた。


この人数で


植樹しまくりました
写真正面奥の斜面が10年間植樹してきた山。
標高差約100m。かなり急斜面です。普通に登山です。

植樹の年度毎にエリアが分かれている。


7合目くらいまで登ったところ

とにかく周囲の山が立派で、正直登山したくなりました


写真ではわかりづらいですが、鹿が若い木のさきっちょを手当たり次第食べています。
おいしいんでしょうね。
下山する時、4匹出て山を駆け下りていきました。
人間ではとても追いつけないほどもの凄く早い。
鹿との闘いが一番大変そうでした。


鹿が4匹。駆ける。



参考リンク
森びとプロジェクト委員会

足尾鉱毒事件

2014年5月26日月曜日

2014/5/20〜21 温熱軍団@福島

今回のCheFuKoによる温熱軍団は、3月に初めてお邪魔した南相馬の牛越第二仮設と福島のこひつじ幼稚園も合わせて4箇所で施術ボランティアをさせていただきました。

南相馬の仮設は初めて自主サロンでの開催でしたが、自治会長さんに告知のご協力いただき11人ほど来て頂きました。一人当たり40分でじっくり施術できたので、これぐらいが逆にちょうどいいようです。

仮設組が一通り終わって、美容室わたなべへ戻ると例のように色々皆さんが作ってきてくれたおかずが沢山並んでいました。
最後は一番若い私が全て残さず食べきる流れになり、飲み会を待たずして満腹に。
わたなべさんのところにはふんばろうの緑プロジェクトで花壇を作って頂いたのですが、手入れがされており、満開でした。感謝。


18時に南相馬を発ち、福島の花見山へ。

翌朝は7時過ぎに寝床を抜け出し、花見山を散歩しに。
ちょうど浪江から避難されてるスタッフの方が朝の見回りに到着し、一緒に山をぐるっと見廻りしました。
カキツバタ

ミヤコワスレ


いつものように花木の説明をしながら、この時は色んな話をして下さいました。

ここは除染に出稼ぎに来ている方が最初の研修なんかで山作業の現場に入れられることがあるのですが、そういった方から「賠償金もらってるのに働く必要あるんですか」などという言われ方をされたり、「最近風当たりが冷たいんだよ」と色々悩み事を打ち明けてくれました。
かなり話題になっていた「美味しんぼ騒動」にも触れてくれて、「風評被害だのなんだのと批判されているけど、内容を良く読んでみると、当時思い当たることが色々描かれている。問題提起としては良かったんじゃないか」というのが当事者の一人としての率直なご意見だったようです。

見廻りから宿舎に戻ってくると、間も無く朝礼開始。
生憎の雨でしたがあるスタッフさんの強い希望で表の草刈りをやりました。この時、その方が私の母校の一期生だったことが発覚したのは驚愕でしたが。


開始一時間ほどで雨も強くなり草刈りは中止。

あとは午後のこひつじ幼稚園まで雑用を探しながら手持ち無沙汰な時間を乗り越えました。雨が降ると基本的に外の作業はないようです。

午後は2ヶ月ぶりのこひつじ幼稚園へ。
初めて訪ねた時よりは園長先生達も明るい雰囲気でしたが、相変わらずお忙しいようでした。
ちょうど子供たちの歯科検診があり、歯科医の先生も園長先生の強いすすめで温熱をうけられました。
その後は子供2人が温熱にきょうみしんしんですすんで受けてくれました。

最後にはまた沢山お土産をもらって、一同東京へもどりました。





今回も皆様に感謝。




追伸:今回花見山のお父さんにタケノコをお土産にもらったのですが、絶品でした。



2014年5月14日水曜日

2014/5/11 第13回 避難者の集いin飯田橋

この日はふんばろうと人の輪ネットさんタイアップでの柏餅作りでした。



予定外の200個作製となりましたが、あっという間になくなってしまいました。
自分達で作って食べるとやはり盛り上がりますね。
「最初から作るほうに参加すれば良かった、、、」
なんて仰る方も。

次回7月は七夕企画だそうです。
楽しみ。


2014年5月11日日曜日

2014/5/10 がんばっぺ

今日はがんばっぺのオリジナルレシピによるもんじゃ焼き試作会が行われました。
避難者の方は残念ながら女川の方が一人でしたが、逆に色々なお話を伺うことができた気がします。

企業秘密の粉と、2種類の具。
いつもの浅漬けに、オニギリはスタッフの手作りネギ味噌と肉味噌。
手作りの優しい味の食卓でした。
今回はみなさんが自宅でも作れるようにというのが趣旨のため、フライパンでもんじゃを焼き、火加減などに一工夫必要なことがわかりました。

これから進化していきそうです。



後半は反省会と今後の話し合いを行い、被災者の立場を改めて考えさせられる出来事がありました。
相手の立場を見失わずに行動していきたいです。


2014年5月4日日曜日

2014/4/12 NPO太陽の郷里山交流協会 その②

昼に皆で会食したあと、代表の齋藤さんに近くの津波被災地域の小浜を案内していただきました。
そして翌日も少し時間があったので同じ場所を違う道から案内してもらい、ここの状況がよくわかりました。

居住制限区域にあたるこの地域は手付かずの被災住宅などもあり、まだ震災の爪痕が生々しく残っていました。
ここも津波で亡くなられた方が何人かいます。

今回衝撃的だったのは、「津波がこんな丘を越えてきたのか」という場所を見たことです。
南相馬では津波の高さが20mにも達した場所もあると言われていますが、それも納得のいくものでした。


この建物の奥に見える丘を津波が越えてきた


一枚目の写真の奥の丘の上の宅地から海を見た様子

丘の上から一枚目の津波被災地域側を見下ろした様子。
一枚目の写真はここから少し左側にある。
左側には川がありそこから氾濫してきた津波と、この丘から越えてきた津波が渦巻くように飲み込んでいったそうです。


津波によって破壊され橋げただけ残った


津波の恐ろしさを改めて知るきっかけになりました。