2012年12月18日火曜日

いわき仮設音楽会

一昨日の12月16日(日)は前回の10月に引き続き(前回分アップしておりませんが、、、)いわきの仮設住宅にて避難者の皆様に音楽会を楽しんで頂きました。
マンドリン奏者のよねっちさんと、沖縄民謡の矢久保さんの2チームに別れ、午前と午後の部を行いました。
私は今回よねっちさんのチームに同行。

よねっちさんは普段はマンドリン奏者として仕事をされてますが、慰問演奏をするために歌を歌いはじめた熱いミュージシャンです。

福島が輩出した春日八郎や美空ひばりなど、御年配の方が知ってる歌謡曲を中心に演奏、最初の摑みも素晴らしく、来場された仮設の方々はステージ初めから歌を一緒に口ずさみとても楽しんでおられました。


午前も午後も子供が数人来ており、演奏会終了後に遊び相手になりましたが、午後の部では子供達を焚きつけすぎたせいか、1時間ずっと鬼ごっこをする羽目になり、ハードな締めとなりました。
子供達も楽しめたようで何より。

次回は雪深い会津の仮設で予定されているようです。

前回の矢久保さんに引き続き、よねっちさんという素晴らしいミュージシャンと出会えました。今後の福島支部の音楽会がますます楽しみです。












2012年11月1日木曜日

ふくしま会議ーUstream中継の模様

本日、渋谷ヒカリエで行われたふくしま会議の様子です。
今日は私も行けませんでしたが、色々と考えさせられる内容だと思います。

http://t.co/IMg62Gf4

2012年10月10日水曜日

今週末は稲刈り

今週末は福島の会津で稲刈りの手伝いを予定しています。
この企画、志塾の第四回の企画「福島へ行って交流しよう」
ということで、事務局長の稻田さんが数年前から棚田オーナーとして取り組まれている稲作を体験させて頂くというものです。

震災による原発事故で会津方面は実害が少ないながら、厳しい風評被害と闘ってきています。
私にとっては今までとは少し目線を変えた被災地支援に関わる行事です。


http://www.saisei21.jp/

2012年9月29日土曜日

地に足がついていなければ意味がない

先日のつくば市での避難者の集い、「久しぶりの人に誰かしら会えるかも」という期待も少し持ちながら行ったところ、案の定いわきの安島さんがいらしていた。

お互い受付での留守番中に、久之浜やいわきのことを色々伺っているなかで、とある活動から離脱されたことを聞いた。

被災地支援の活動に参加して、あちこちで活動の頓挫や、暴走したという話しを聞いてきたが、結局の所、これらは「地に足がついていない」のが原因だ。

地元のことは地元の人がやる、というのを私は久之浜でとある方に教わり、心に留めている。
圏外の人間であれば毎日、毎週くるくらいでないと、地元の方のためになる活動はなかなか難しい。実際に生活していないと見えない人間関係や地域の事情等が様々ある。
そこが見えていないと結局支援を介して自己実現に走ってしまう。
非常に難しいところだといつも感じている。


私が昨年から志塾で学んできたことの中で、一人一人が意識して行動する以外に日本がよくなる道はないことを悟ったが、これも同じことだろう。

自分のことは自分で、地域のことは地域で。
これが根っこになければ長続きはしない。

最近読んでいる本で、維新の立役者(?)勝海舟の談話集「氷川清話」にこんなことが書いてある。
彼は維新において江戸城明け渡しを成功させるなど、当時大業に奔走した大偉人だが、封建制度がなくなり、武家も廃止になった中、旗本の人間が江戸城下で商売を始めるとこっそり訪ねて、すこし良い値で売り物を買ってあげて彼らのモチベーションをあげるようなことを個人的に行っていたらしい。
明治の政治家は国家国家と騒いでいるけれども、もっと自分のこととして捉えなければいけないというメッセージが勝の話しには込められている。

もちろん被災地の困っている方を支援したいというのは、とても素晴らしいことだが、「じゃ自分の足下はどうなの?地域の人間として役目を果たしているの?」
これを抜きに被災地支援は本当はできないことを常々思う。





山形(川西町)で南三陸の方々を支援


ローソン川西吉田店内にあるきらり産直市場にて南三陸の支援に還元されるストラップが販売されています。
お近くに方がもしいれば、一度手にとって頂きたいです。

このストラップの販売している団体 MSR smile project の代表の野崎さんは昨年の秋頃、被災地で緊急的な物資支援が少し落ち着いてきた状況のなか、南三陸で避難生活を続ける現地の方々の精神的な状況にとても危機感を覚え、ミシンプロジェクトというとある活動にて毎週南三陸を往復されていました。

何もすることがない状況を変えるために、南三陸のおばあちゃん方に対してミシンのワークショップを行い、小物を作ってもらい、それを都内等で販売する、というのが始まりです。

かわいいポストカードも販売しており、こちらは売り上げを南三陸のさんさカフェにて、被災者の方々へプレゼントするランチ券へと変わります。

かわいいグッズがいっぱいあるので見かけましたら是非。





2012年9月23日日曜日

浪江町避難者の集い〜元気つく場会

本日は、つくば市の筑波学院大学構内にて、元気つく場会主催による浪江町避難者の集いがあり、ふんばろう東日本として手伝いに参加させて頂きました。

浪江町避難者以外にも、南相馬、楢葉町、いわきなど様々な地域出身の方が参加され、中には東京に避難中の方も来ていたとか。

浪江町は県外避難者への支援が手厚く、避難している浪江町町民がしっかり固まって避難生活をされているのが特徴らしく、各避難先でもイベント等を企画すると人の集まりも良いらしいです。

馬場浪江町長、つくば市長、筑波学院大学学園長の挨拶のほか、最後は浪江の星と言われる国民謡界の至宝、原田直行さんによる公演があり、受付で留守番をしながら外で聴いていましたがかなりの盛況ぶりのようでした(写真を見せてもらったら盆踊りの曲で皆さん踊っていらしたようです)

途中の昼食は事前に配った食券を使って、学食にてわいわいと昼食。

皆さん避難生活でご苦労をされているので、こう言うのは不謹慎極まりないのですが、開会前に続々と集まり再開を喜び合う様を見ていると、同窓会のように見えてきます。
今日は懇意にしていた方々に一目会いたいと、体調がすぐれない(ずっと入院生活をしている)中、埼玉からわざわざいらした方もいて、お互いを懐かしむ姿が非常に多かったです。
まだまだ先が見えない中ですが、一同に会する機会を得ることで、地元の中で新しい機運が生まれればと密かに願うものです。

馬場町長は今日の挨拶で感極まり涙していたらしいですが、浪江の方曰く、比較的いつも泣いており、テレビ等で泣いているのを見ると、今日お話をした方などは「泣くな!!」と思っているらしいのですが(笑)、偽りのない涙であればとても良いものだと個人的には思います。
避難先で浪江町民の集まりなどがあれば極力顔を出すようにされているとのこと。


今日一番印象的だったのは、そんな馬場町長が帰られる際に、同じふんばろうのメンバーの方が町長に対して「お身体大事になさってください」と言葉をかけたことです。
町の一大事に奔走されている町長。地元の人々。
よい未来図が描けるようになることを切に願います。


2012年9月20日木曜日

わかちあいの会〜福島県内で遺族支援

日経ビジネスオンラインの記事からです。

身内や親しい間柄の友人の死を、自分でどう見つめるか。
誰かに聞いてもらうだけでも、そのきっかけが見つかるかもしれない、わかる気がする。
外に出して初めて整理できることだと思います。


http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20120918/236928/?P=1

2012年9月12日水曜日

1年半経って


以下、お世話になっている「ふんばろう〜」代表の西條先生の1年半のまとめがでているのでご興味あればご覧下さい。


http://togetter.com/li/371981

2012年9月11日火曜日

1年半、、、

去年の今日は「震災からもう半年経った。早いような遅いような。瓦礫の撤去は一段落した所もちらほら。政府は相変わらずまだまごまごしてる、、、」

と思っていた記憶があるのだが、結局国としてはまだ舵を切れていない。
最終的には日本の政府が、日本の政治が、変われなければ、本当に東北が復興することは叶わないと思っている。
行政側の問題もあるし、国民側の意識の問題も大きい。

など考えつつ、9.11の記事を眺めていたらこんな記事が。
確かに「瓦礫」問題の陰ですっかり忘れさられていた「泥」、、、どうなるんだろこれ。
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG2401X_T00C12A9000000/

皆で平等にぶちまけるのが一番わかりやすい。

2012年9月10日月曜日

故郷への思い

先日、富岡町の避難者の方から残暑見舞いのお返事を頂きました。

そこにお兄さんの詩が載せてられているブログをご紹介頂いたので、是非ご覧になって下さい。

この詩を作られた方は猪苗代のほうへ落ち着き、新たな生活を前向きに送っていらっしゃるようですが、やはり詩には故郷への思いが切々とこめられています。

http://blogs.yahoo.co.jp/sumomo4410sumomo/29994828.html

2012年9月4日火曜日

米沢で起業セミナー

米沢で福島避難者の方対象に起業セミナーが開催されるという情報を戴きました。
福島県民以外の方(地元米沢市民)も参加可能なようです。

我こそはと思う方はご参加下さい。

米沢で支援活動に尽力されている結いの木の丸山さんの立ち上げた法人が企画されたようです。


http://kizuna.yamagata1.jp/modules/con04/index.php?content_id=152

2012年9月3日月曜日

このBloggerの使いかたがいまいちわかっていないのですが、他のブログを共有できることを知ったなので、ETHOS IN FUKUSHIMAさんのブログを紹介させて頂きます。

いわきの活動でお世話になっている三児のお母さんから紹介された福島のエートス。
直接関わりはもっていませんが、一度、いわきの末続でのミーディングを見学させていただき、思うところがありました。

人と土地はそう簡単には切り離せないもの。

個人的にはその思いがとても強く、じゃあどうしたらよいのか、がわからないのですが、
このエートスは「放射能とどうつきあっていくか」をチェルノブイリを経験しているベラルーシのロシャールさんという方を交えながら、対話しながら模索しようというコンセプトなので、その答えを導くことができるような気がしました。

現状こちらはわたしの活動ではありませんが、考え方の共有ということで、本ブログで都度紹介させて頂きます。


ETHOS IN FUKUSHIMA: 7/11 ロシャールさんと語る会 報告

ETHOS IN FUKUSHIMA: 7/11 ロシャールさんと語る会 報告: 7/11 末続集会所で、ジャック/ロシャールさんをお迎えして、「ロシャールさんと語る会」を行いました。 開始前、「末続ふるさとを守る会」さんが作成した、線量マップ、土壌放射線濃度マップの説明を聞くロシャールさんご一行さま。   北海道から、お菓子の差し入れ...

2012年8月14日火曜日

第三回 ふくしま避難者の集いin 早稲田

昨日は早稲田大学にて三回目の避難者の集い。

前回から更に参加者が増え(避難者側も運営側も)だいぶにぎやかになってきています。

後ろからしばらく様子をうかがっていると、毎回参加して頂いてる女性の方が、地元で顔見知りの方と偶然の再開をしている場面がありました。
回を重ねるごとにこういう再開が少しずつ増えていくのかもしれません。

今回は今までと違って賠償問題に関する話題が色濃く出ていたような印象を個人的には持っています。
この問題については当然当初から一番肝心な部分ではありますが、今回は今までより濃くなったような感覚がありました。

開始前に大学周辺から会場まで付き添いで案内した方は、いわき市平から自主的に避難してきた方でしたが、「地元の有力者と繋がりがないと全然支援や補償を受けれない。」と深刻な様子。
いわきは共産党が強いためここの繋がりがないとそれこそ全く孤立状態になってしまう現状があるようです。


前回同様に設けられた東京弁護士会のブースも、前回以上に相談をされている方が多く、段々本格的になりつつあると、この集いの意義を再認識しました。


外の案内から会場へ戻る際に最後にお連れした若いお母さん二人組は、前回も参加されていたのを覚えていたのですが、南相馬市原町区から川崎の高津区に避難されているらしく、高津区の支援状況などの話しを少し伺えました。
他の方も誘って頂いてくれているようでしたが、周りは中々のってこないようです。
立地的なネックは一番大きい。
神奈川エリアで集いをできないかなとまた思案し始めました。
現状の体制だと早稲田でやるのが施設的な面でベストなのですが、やはり・・・

今回は東雲住宅で行ったキッズワークショップで一緒だったSCSKの担当者の方が説明にいらっしゃり、久しぶりに思わぬ再開をしたのですが、また是非CAMPを避難中の子供むけにしたいですねぇという話しに。
最近こういう部分で動けていませんが、また掘り起こしてみます。

震災から一年経過してからの開催、二ヶ月に一回の目安で計三回。
ゆるいペースですが、それでも段々と人が集まってくるということはまだまだネットワークを求めている方々が多いということなのでしょう。
今回の参加者には立川や川崎などから足を運んで頂いた方もいらっしゃり、意外と遠いとこからの参加者がいることがわかりました。
生活コミュニティを越えた部分での繋がりとしての役割もあるのかなと思った次第です。

第四回は10月に予定。
次回はどのように発展していくのか楽しみです。










2012年7月31日火曜日

第三回 ふくしま避難者の集いin 早稲田

第三回目が8月12日(日)に開催されます。

回を増す毎に避難者同士、避難者と支援者、支援者同士で新たなつながりができていますが、今回はどんな方がどのくらいいらっしゃるのか、、、楽しみです。

ふくしま避難者の集いin 早稲田

2012年6月11日月曜日

南相馬市小高区にて

昨日、先月に警戒区域が解除された南相馬市小高区にて津波被害を受けた民家の片付けの手伝いをしてきました(福興浜団さんによる)

住民感情を分裂させた、政府による意味のない境界線があった場所を超えると、まだ片付いていない一年前の光景が続いていました。
ニュースでも取り上げられていますが、水が出ないなどライフラインも整っておらず、規制により居住もできない状態。

家の片付け作業は一年前を思い出しました。
ただ一見すると時が止まったままのようですが、作業中に様々な虫と遭遇したのは一年前とは決定的に違うことでした。
これは同行させて頂いた(いつもお世話になっている)小山氏の言葉で気づいたのですが、ミミズやクモ、その他よくわからない色々な虫があちこちに。

一年前の片付け作業ではひたすら流された物と泥をかき分ける無機的な作業だったような記憶がありますが、今回は作業中に何度も虫と闘ったりとある意味有機的なものでした。

人間の生活圏だけで見れば「あの時のまま」と言いたくなるところですが、警戒区域に指定されていた地域でも、この一年で多くの命が育まれているというのもまた一つの事実として認識する必要はあるのではないでしょうか。


今回久しぶりに南相馬へ足を運んで感じたのがやはり遠いということ。
警戒区域による迂回のせいで都内から南相馬へ車で行く場合にかかる時間は、南三陸へ行く場合とあまり変わらない。
それくらい迂回による時間のロスが大きい。
常磐道で浜通をつっきれるようになるといわき市から30分程度の所が、現状の迂回コースだといわき市から2時間半はかかります。
線量への不安等もあると思いますが、所用時間が復興の大きな足枷になっているのは間違いないと今回改めて感じました。
通行止め中の常磐道が夏に開通するような話しは聞きますが、一刻も早い広野〜南相馬間の有料道路を復旧を願います。

2012年6月4日月曜日

第二回 ふくしま避難者の集いin 早稲田

今日は早稲田大学にて第二回目の避難者の集いがありました。
今回は事前準備には関われず当日のみの手伝いでしたが、
前回の倍以上の50人超の方にご参加頂き、なかなかの盛況ぶり。

前回参加頂いた方+初参加の方もいて、という感じだったのでまた新たなつながりができたようです。

サーカス劇団のステージ、ふんばろうのハンドメイドPJのワークショップ、動物班のブース、同じ避難者であるシンガーソングラーターの橘さんの弾き語りなど前回以上の充実ぶり。

今回は併設された東京弁護士会による東電賠償請求の相談窓口のブースも思っていたより盛況で、ちょっと時間が足りなかったのかなと逆に感じました。


今回は前回と比べると大熊町の方がかなり多く来ていたようです。
支部長曰く、今回大熊町は役場が動いてくれたからのようですが、やはりインターネットよりチラシのほうが効果は高いようで、チラシを見ての参加が多かった模様。

会場の広さに限界がきているように感じますが、次回はもっと口コミも含めて多くの繋がりができればと願います。

2012年5月18日金曜日

旧警戒区域でのボランティア募集

今日から南相馬の小高区での家屋片付け等のボランティアが募集開始されるとのこと。
一年ちょっと経過し、ようやくこの段階にたどり着いた地域がある。

避難している方々の中にはようやく色々な意味で心の区切りをつけることができる方もいるんじゃないだろうか。
そう考えるととても大事な作業だと思います。


http://minamisoma.jimdo.com/旧警戒区域区での活動について-家の片付けなどのお手伝いをします/

2012年4月20日金曜日

限界集落の真実

先日、日本政策研究センターの勉強会にて「限界集落の真実」についてのお話を、首都大学の山下先生にご講義頂きました。
今回参加させて頂いたのは、前回初めて参加した日本の家族政策に関連する内容だったからであると同時に、被災地へ行く度に高齢化・過疎化を痛感しているため非常に気になっている問題だったからです。まあ特に被災地に限らず山形に帰省する時も感じる問題ですが、、、。
内容としては期待はまだある、ただしこれからどうするかが問題、、という意外なものでした。


また、山下先生は警戒区域の富岡町の地域再生支援にも関わっておられ、40代の子を持つ富岡町の方々が子供達に故郷を継承していくための活動が始まっていることを知りました。
限界集落は土地を基盤に色々な試みが既になされていますが、強制限界集落となってしまった原発周辺地域はその土地に入れません。
その状態でどのように地域を継承していけるか、非常に悩ましい問題と感じました。
と同時に重要なことであることも今回の勉強会で感じました。


家族、イエの繋がり、受け継がれてきた歴史、伝統、生きる知恵、精神、、、そういった諸々を含めた私達のアイデンティティーに関わる根幹的な問題が限界集落問題には含まれています。
皆様の故郷ではどうでしょうか?




以下、Wmodeにて書いた勉強会の概要を転記します。
※参考文献是非読んでみて下さい




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■日本政策研究センター勉強会
■講師:山下祐介氏 首都大学東京 准教授

4月16日(月)は日本政策研究センターにて「限界集落の真実」についての勉強会でした。
前回の家族政策の問題に続き、とても考えさせられる内容でした。

趣旨としては少し意外なものでした。
高齢化によって集落が次々と消滅している、というのが一般的なイメージですが実際にはそうではない。
限界集落と言われる地域について深く掘り下げて調べて行くと、まだ高齢化で消滅した村はほとんどない、というとても興味深い話しでした。

ただし、これからその消滅の危機があるためその対策を考える必要があるようです。

限界集落の実情は、その集落の家族が仕事等の都合で広域(都市郊外)に分散して生活しているため、集落には住んでいないけど実は割と近くにいる、というものです。
今後は集落に住む高齢世代から、近郊にいる子・孫の世代へどうやって集落を継承することができるかが問題となってきます。

質疑で週刊朝日の記者の方が
「なぜ限界集落を守らなければいけないのか」
という質問をされましたが、山下先生は「限界集落を失った場合の知見が我々にはまだないので、実際になくなったらどうなるかわからない。」「ただ、限界集落を失うことは歴史を失うことでもある。心の問題になってくる」と仰っていたのが印象的でした。

山下先生は警戒避難区域の富岡町の支援にも関わり、40代の親達が子供達にどのように故郷を継承していくかを考える「とみおか子ども未来ネットワーク」という活動が立ち上げられているとのこでした。
私は「こういう動きが出ているんだ」と嬉しく思いましたが、土地がない状態でどのように地域を継承していくのか、非常に難しい問題だと感じました。
質疑でもこの疑問をぶつけてみましたが、山下先生も「まだわからない」という回答でした。

歴史を失う事。
心の問題。
強制限界集落となった原発周辺地域の問題の深刻さを改めて感じました。
ただ、限界集落についてはまだこれからどうするかが問題であって、期待も持てる勉強会となりました。


【概要】
・限界集落の状況 村民はふもとに降りているだけ。耕地は維持されている。
・限界集落は幕末〜明治に開拓された分村→高齢化で昔からの村が消えたとは言い難い
・自然消滅した集落→新潟県上越市大島地区 それ以外の自然消滅は見られない
・人口増加と近代的な仕事を求めて家族は広域に分散→郊外(中心市街地と過疎地域両方へ行きやすい位置)
・限界集落の村民は世帯で見れば1人でも、実は都会(近くの地域)に家族はいる(週末帰ってきていたりする)
・限界集落は全く人がいなくなっているわけではない→近くにいる家族を呼び戻す→世代間での継承を考える必要性

参考文献
「限界集落の真実」著書:山下祐介(ちくま新書)

2012年4月17日火曜日

卒塾の様子

卒塾の様子が再生日本21のHPにアップされました。

「日本を良くするために何をすれば良いのか」
一見重たそうなテーマですが、突き詰めると一人一人にできることがあります。
志塾では色々な立場の方が集まって様々な意見を聴くことができます。
今後期を重ねる毎により中身の濃い議論が展開されていくと感じています。

第7期以降は今までとまた形を少しずつ変えて行くようですので、機会があれば是非志塾を覗いてみて下さい。


http://www.saisei21.jp/shijyuku/shijuku6sotujuku




2012年4月16日月曜日

卒塾〜志塾


先週の土曜、4月7日に株式会社再生日本21(http://www.saisei21.jp/)のプロジェクトの一環である「志塾」の卒塾式がありました。

塾長の講演の後、事務局長、塾頭そして卒塾する6期生の発表を行ったあと、塾生の先輩や支援者の方々との懇親会も行われ、無事卒塾式の日を終えました。

この志塾、存在自体は設立当時から知ってはいたのですが、震災での支援活動を機に入塾しました。
被災地支援活動に割ける時間が減ることに対してかなり迷いましたが、被災地の問題は日本全体で抱える問題が多い事や、10年〜20年の長い目で見ると後々生きてくるような気がして入塾した経緯があります。
結果的には良かった、と言いますか、より広く深く、被災地の問題を感じ取ることにつながったと思います。

昨年7月から始まった第六期の志塾は2ヶ月に1回のペースで、座学、現地研修、都度の課題等、それなりの負荷がありましたがとても内容の濃いものでした。

幕末に日本を守らなければいけないという精神を築いた吉田松陰について学んだ萩・下関研修。ここでは松陰の叔父である玉木文之進の旧宅で、日本政策研究センター主任研究員の岡田先生のご講義は、吉田松陰が乗り移ったかのような渾身の講義で、心が強く揺さぶられました。

熊本県の水俣での水俣病研修では現地でずっと水俣病問題に取り組んできた方の案内で水俣の歴史と現状を学ばせて頂きました。
当然私は福島の問題を重ねてこの研修に臨みましたが、水俣は予想以上に考えさせられるものでした。
水俣病の原因を作った企業のチッソは地元にはなくてはならない存在。
驚いたことに、未だにこの企業は地元ではステータスになっている。
それだけ生活の上で必要な企業ということになります。
生活で依存している近代文明とどう向き合うのかが問われる内容で、今の原発問題も同様に安易に「危険だからダメだ」と言えるような問題ではないことを痛感しました。

この萩・下関と水俣が現地研修の目玉になりますが、これに各方面で活躍されている講師の方々の座学が加わります。

この他にオプションとして被災地ボランティア活動や、事務局長の稻田さんのお誘いで、日本政策研究センターによる勉強会など、幅広く体験・学びの場があります。

今様々な問題を日本は抱えていますが、いずれもが私達の生活と深く結びついています。
多少の不安を感じながらも「一体何ができるのだろう」と思うかもしれません。
志塾で得た結論の一つは、私達の一人一人の今の生活に対する意識が非常に大切だということです。
価値観を見直す作業と言い換えても良いかもしれません。

行政依存、大部分をアウトソーシングに頼っている日常生活。
今の生活の在り方が結局の所、孤立化につながっています。
震災で絆という言葉が注目されましたが、もっと自分たちの生活を手元に寄せれば本来の繋がりというものは取り戻せるのではないか、志塾ではそういうことを考えさせられました。

志塾は当初、経営者や起業家、国家公務員などが多いイメージでしたが、私の所属した第6期は主婦の方や、高校生、大卒の方など、一般の方が多かったため、其の視点で問題を捉えた意見が多くでてきました。
ですので敷居の高い場所でもありません。(内容は厳しいですけどw)

明日の日本を不安に思う方、自分たちの国をもっと良くしなければ、自分の孫・子供の代の日本を何とかしてあげたい、と漠然とでも思う方がいらっしゃれば、第7期生として一年間学んでみてはいかがでしょうか。

志塾第7期生募集中です(http://www.saisei21.jp/shijyuku)。




被災地の問題は被災地だけのものではない。
きっかけさえあれば日本中どこでも起こりうる。

そう感じたのがきっかけの志塾でしたが、今後はこれを被災地支援に役立てて行こうと思います。




2012年4月12日木曜日

ふくしま避難者の集い in 早稲田

ここ二ヶ月ほど諸々あったのですが多忙のため更新しておりませんでした。
日にちが経ってしまっているのですが、近況をぼちぼち更新していきます。
まずはこちらから。


3月18日(日)、早稲田大学にてふんばろう福島支部としては初めて都内での企画がありました。
「ふくしま避難者の集い in 早稲田」は県外避難者の交流の場を作る目的で開催されました。

今までガイガーカウンタープロジェクト等で現地のメンバーと関わっていた中で、複雑な感情があるのを身に染みて知っているのでどうなるのか正直心配でしたが、参加者からも好感触で、何より避難者同士の繋がりが今回の場でできたことに、今後の必要性を改めて実感しました。

今回は参加者が約20名、主に浪江町の方でした。
告知は避難地域の役所と都内で県外避難者を支援している社協など。
浪江町の方が多いのは、役場が協力的であり、震災直後に避難者へフォトビジョンを支給して町の情報を流せるようにしているので、避難者への周知がすぐできるからです。
他地域でも今からでもそういった情報共有の仕組みが構築できないものかなと思いました。

今回の企画で一番嬉しかったのは、私が扇風機を送ったことがきっかけで7月から何回か手紙のやりとりをしている都内避難者の方が、案内の手紙を読んで足を運んで頂き、初めてお会いできたことです。
お会いしたのは本人ではなく一緒に富岡町から避難している妹さん(ご本人は体調不良のため代わりにお礼を言ってきてといわれたそうです)でしたが、色々と話を伺えました。
富岡町は役場の動きが良くないらしく、いわき仮設でも支援が少ないという話を聞いていたのですが、この方もやはりふんばろうの物資支援が本当に必要だった様子でした。
今回ような交流の場もないので、次回も是非参加したいというご意見も頂き、案内の手紙を出しておいて良かったとつくづく感じた次第です。

知り合いも誘いたいという声もあり、今後のネットワーク作りに協力できれば、と強く思う一日でした。

2012年4月10日火曜日

ふくしま避難者の集い in 早稲田

3月18日(日)、早稲田大学にてふんばろう福島支部としては初めて都内での企画がありました。
「ふくしま避難者の集い in 早稲田」は県外避難者の交流の場を作る目的で開催されました。

今までガイガーカウンタープロジェクト等で現地のメンバーと関わっていた中で、複雑な感情があるのを身に染みて知っているのでどうなるのか正直心配でしたが、参加者からも好感触で、何より避難者同士の繋がりが今回の場でできたことに、今後の必要性を改めて実感しました。

今回は参加者が約20名、主に浪江町の方でした。
告知は避難地域の役所と都内で県外避難者を支援している社協など。
浪江町の方が多いのは、役場が協力的であり、震災直後に避難者へフォトビジョンを支給して町の情報を流せるようにしているので、避難者への周知がすぐできるからです。
他地域でも今からでもそういった情報共有の仕組みが構築できないものかなと思いました。

今回の企画で一番嬉しかったのは、私が扇風機を送ったことがきっかけで7月から何回か手紙のやりとりをしている都内避難者の方が、案内の手紙を読んで足を運んで頂き、初めてお会いできたことです。
お会いしたのは本人ではなく一緒に富岡町から避難している妹さん(ご本人は体調不良のため代わりにお礼を言ってきてといわれたそうです)でしたが、色々と話を伺えました。
富岡町は役場の動きが良くないらしく、いわき仮設でも支援が少ないという話を聞いていたのですが、この方もやはりふんばろうの物資支援が本当に必要だった様子でした。
今回ような交流の場もないので、次回も是非参加したいというご意見も頂き、案内の手紙を出しておいて良かったとつくづく感じた次第です。

知り合いも誘いたいという声もあり、今後のネットワーク作りに協力できれば、と強く思う一日でした。

2012年3月20日火曜日

2012年3月16日金曜日

おしらせ

本日、夕方6時からのフジテレビスーパーニュースで内田兄弟 のドキュメントが放送されるそうです。(関東限定)避難所時 代からずっと密着取材を受けて来ました。現地(南三陸)では 見ることが出来ませんが、可能な方はご覧になってくださいおしらせ

2012年3月13日火曜日

ふんばろう福島支部HP のご案内

福島県内はもちろんのこと、県外避難者のフォローも含め色々と動いています。
実働部隊、後方支援部隊(web、イラスト、その他)、随時スタッフ募集中です。
宜しくお願い致します。
http://wallpaper.fumbaro.org/fks-branch/fks-branch/

2012年3月2日金曜日

3.11 の過ごし方

以下、別のサイトで書いた内容転記します↓


先週の日曜日、いわきのAさんという方から電話を頂き、一時間半ほど話し込みました。

Aさんは三児の母で、実家が久之浜ということで久之浜でよくお世話になる方です(泊めて頂いたり、食べ物を恵んで頂いたり、地元議員から情報を聞き出して頂いたり、、)。

最近はいわきに開設された放射能測定所で食品の測定の手伝いが忙しいようで保育園からの測定依頼等に対応しているとのこと。
やはり測定対象の中には、国の基準値まではいかないけどもそこそこ数値が高いものもあるようです。(市内の子持ちの方はほとんど外のものを食べているとのこと)。
4月に県内の自治体に食品測定器のばらまきがあるようですが、毎度毎度の行政のやっつけ仕事的な対応にあきれている様子でした。
正しい測定方法が浸透していない中で食品測定器をばらまくと、さらに混乱を招くことは間違いないので私としてもちょっと心配になります。


さて本題ですが、近況を伺う中で「3月11日は久之浜はイベントなど何かありますか」という質問をAさんにしました。
というのも、私がお世話になっている団体複数を含め各地、各団体で3.11イベントの準備で盛り上がっていますが個人的には全くノリ気になれないでいたからです。

一年という節目にもう一度注目してもらい活動を知ってもらう、被災地の現状を知ってもらう、活動資金の確保、等等の重要性は重々承知なのですが、それでもやはり3.11にイベントというのはしっくりきません。
献花、黙祷、すべきことはそれくらいでしょうか。

節目の行事は大事だと思いますが、そこで「一年よくやったな」と思える被災者は他の被災者を支援してきた方であって、今も支援が本当に必要な人は節目で振り替えることもつらい現実のように思います。

外の人間からすれば「あの日を忘れない」でしょうが、実際に被災した人達にとっては「忘れたくても忘れられない」「むしろ忘れられたらいいのに」だと思うのでイベントにはやはり違和感があります。

Aさんに自分の気持ちを話すと「やっぱり君はいい感性しているねぇ」と言われましたが、どう過ごすかまだ迷っています。
(※ちなみに久之浜は「イベントはするな」という話が出て、外部団体から献花用の花をプレゼントして頂く以外は慎ましく過ごすようです。)

復興イベントは被災地支援として外部の人間だからできることの一つですが、被災者目線に立つとあまり好ましくない。
この矛盾にモヤモヤしているこの頃です。

いつも通り過ごす、被災地のことを考える、式典やイベントへ足を運ぶ、はたまた敢えて思いっきり遊ぶ、、、、複雑な感情が飛び交う一日になりそうですが、皆様は3月11日をどのように過ごされますか?

2012年1月4日水曜日

年賀状

先月、東京に避難してきている双葉郡の方にクリスマスカードを送ったら年賀状で返ってきた。

義弟が入院中で妹が滅入っていたのでとても喜んでいたとのこと。

実は夏に扇風機を送った際にお礼の電話を頂き、その後に葉書でお礼を書いて頂いていたのだが、ポストに投函されているのに気づかず、11月に葉書に気づいて「しまった、、、」と青ざめた経緯がある。3ヶ月程放置していたことになる。
ちょっと気まずいのでクリスマスに便乗しつつ、様子を伺おうと思って送ったのだが、タイミング的にとても喜んで頂けたようなので何より。

依然として帰宅は難しい状況が続くが、夏より文面から元気が感じられたのでちょっと安心する。
夏の葉書にはストレートに「いつになったら戻れるのでしょうか」と書いてあったので。
最も、今も状況は変わっていないわけですが。



米沢に避難している人の中には、米沢に家を建て始めている方もいるとのこと。
避難者が気に入ってくれて地元に来てくれるのは地方としては大変嬉しい。
複雑な気分ではあるのだけれど。