2013年4月19日金曜日

自主避難で初の和解

【ニュースより】
白河から札幌への母子自主避難で初の東電との和解。
大きな意味ある一歩です。
http://www.ourplanet-tv.org/?q=node/1575

2013年4月13日土曜日

いわき市民と双葉郡避難者の軋轢

一昨日突然いわきの叔父から電話がかかってきた。

あちらから電話がくることは滅多にないので何だろうと思ったら、GW来るなら4月末はいないからな、という連絡だったのですが、その前にもう一つ「忠告しとくけど、、、」と、いわき市内における相双地区からの避難者の様子についてでした。
叔父の住む湯元の一等地にバンバン住宅が建っている、高級車が売れディーラーが儲かっている等、賠償金を得た避難者のお金の使い方や、「被災者だと何でも許されると思っている」という内容でした。

これは叔父が直面したわけではなく、周囲から聴いた話のようなのですが、「お前はボランティア一生懸命やってるみたいだが、そういう人達もいることはわかってるのか?大丈夫か?」という心配をしてくれたみたいです。

この件に関してはもちろん私も随分前から耳にしていて、実際の避難者からも話を聞くこともあるので、まあ一部にはそういう人もいるという認識ではいます。
それにそういう方々は自分が携わっている活動の対象には恐らくもういないでしょう。
しかし、今更ながら叔父からその話が出てくるとは思ってもみなかったので、いわきでお世話になっている地元支援者に近況を伺ってみたところ、日に日にいわき市民と双葉郡避難者の軋轢が深まっているのは間違いないようです。
そのせいで一部の人達の悪口だけが目立ってしまうのだろうと。

私は仮設訪問などで支援させて頂いている方々よりも、寧ろこの賠償金という大金を持って節度ある行動が出来なくなってしまった方々のほうが問題が深い、もとい始末が悪いと感じました。
一被災者であるのはもちろんですし、とても大きな損失、被害を被ったのかもしれません。だから良識ある行動がとれないのかもしれない。
彼等は恐らく自ら行動を改めることは出来ないかもしれません。
出来るとすれば、考えを改める転機となる出来事が突然起こるか、今地道に避難生活を続けている方々が生活再建を果たしたことで自分だけ取り残された時ぐらいではないでしょうか。

二月の集いにいらした大熊町の方もお金を手にいれて働かなくなった若者に「賠償金は生活再建のために使わなくてはダメだ、と教え廻っている」という話をされていたが、1番やっかいな問題なのはやはりここではないかと思いました。

そしてこの一部の方々のせいで同じ町民が避難先で変な目で見られてしまうことが私は最も怖い。

賠償格差、それによる被災者間、県民間の軋轢。
結果的にそうなっただけなのかもしれませんが、尽く地域コミュニティが分断されていく状況を知ると、裏に悪意があるようにどうしても感じてしまいます。(こういうことは書きたくないのですが)

放射能、賠償問題、地域コミュニティ間の溝、、、形を変えながらまだまだ福島の被災は現在進行形です。

2013年4月9日火曜日

4/7 仮設で音楽会&お茶会@福島

4/7は、ふんばろう東日本福島支部改め、ふんばろう福島として仮設で音楽会•食事会で、福島の県北(二本松〜福島市)の仮設訪問をしてきました。
音楽会チーム2班と食事会チーム1班に別れての訪問。

私は沖縄民謡の矢久保チームに同行。
二本松からICを降り、現地組と合流後、福島市へ一同向かいました。

今回は宮代第一•第二仮設(浪江町)、旧佐原小学校仮設(浪江町)、さくら仮設(双葉町)の三件の過密スケジュールでの訪問でした。

また、昨年10月と同様に大阪の和菓子職人さんから和菓子をご提供いただき、皆さんとても喜んで召し上がっていました。
桜餅は彩りが綺麗で私も食べてみたかった、、、

今回も特に問題はなく(前の仮設に御茶っ葉忘れたり色々ありましたが、、、)無事終わりましたが、最初の宮代仮設では始め担当の方が愛想がないというかぎこちない感じで少し気になったのですが、一緒に会場設置をして談笑し、会が終わる時にはとても笑顔になられ、「和菓子職人さんにお礼を言いたいから連絡先を知りたい」とまで言って頂きホッとしました。
急いでネットで検索して連絡先をお伝えしました。
話によると最近自治会長が引っ越してしまい、まだ次期会長が決まっていない状況だったようで、担当の方も慣れていなかったのかもしれません。

話が逸れますがこの宮代仮設ではいわき出身のお母さんがいらっしゃり、演奏者の矢久保さんが沖縄民謡のルーツがじゃんがらにある、という話をされました。
いわきのじゃんがらはその昔、いわきのお坊さんが踊り念仏として作り、南下して沖縄まで布教していったそうです。各地にその名残が垣間見られるそうなのですが、色濃く受け継がれたのは沖縄だけだそうです。いわきと沖縄の意外な繋がりを初めて知りました。

最後の双葉町のさくら仮設では、終わったあとに自治会長さんが双葉町の他町村と比較しての復興の遅延への焦りを話されると同時に、日本人の素晴らしさについても話して下さいました。
「こんな小さな仮設でも随分と沢山のびっくりするくらいの支援を頂いている。感謝しています。日本人は本当に凄いなと思う」と、同じ日本人でありながら、支援を受けた立場として驚かれている様子が印象的でした。

日本人であればある意味当たり前のような事ですが、これこそが日本が世界に誇るべき日本人の精神であると改めて感じた次第です。

帰りは皆さんと解散した後、「首都高がわからない」と言う支部長を最寄り駅まで送るという恒例パターンとなり(運転要員として起用されたので覚悟はしていましたが)疲れ果てました。
この福島から首都圏に着いてからのもう一走りがしんどいのですが、一被災者でありながら支援で頻繁に福島を往復している支部長には、私がいる時ぐらい少し楽をさせてあげたいので断りません。

今回私は初めて同行するメンバーもいたのですが、とても頼もしく思いました。現地組や宮城支部の方も駆け付けて頂き、今後の福島支部改め、ふんばろう福島の支えが沢山あるのだなと染み染み感じました。
ありがとうございました。

福島はまだまだこれからです。
個人的にはようやく避難者間のネットワークが繋がり出したように感じます。
今後も宜しくお願い致します。



2013年4月2日火曜日

南相馬からのお客様

一昨日は私が活動しているふんばろう東日本の総会があった。
二年間の締めと、今年度から新しい体制に変わる節目のイベントだった。
身内同士でワイワイ、という中、南相馬からゲストが二人いらっしゃり南相馬の現状を話して下さった。
ふんばろうと連携して現地で物資を配布し続けている島田モーターズさんという地元企業の社長さんは現状を率直に話して下さり、「メディアにはほとんど出てこないが、身の廻りでの自殺者が後を断たない」ということだった。
そして原町年金組合長さんは、このような現状を何とか変えたいと南相馬での花見山プロジェクトの話をして下さった。
心のケアと言う点で凄く重要なプロジェクトだと感じた。
是非成功させて欲しいと思いました。

最近南相馬には足を運んでいないが、切実な現状を知る一日でした。