2011年11月29日火曜日

東北伝統工芸の復旧復興


本日、構想日本の「J.I.フォーラム」へ参加してきました。
震災で壊滅的な打撃を受けている東北の伝統工芸に関してのフォーラムです。

震災に見舞われた東北の伝統工芸及び中小企業の今の厳しい現状をどうしていけば良いか、について話合われました。

仙北信用組合前理事長の若林さんの東北復興銀行構想は面白いなというか、現状の行き詰まりを打開するにはキーになる策だと感じました。
自分は金融などの話は疎いのですが、被災地の中小企業のこれからの課題は非常に重いと認識した次第です。

また懇親会の帰り際に、東北工芸の発展に尽力されている田中陽子さん(暮らしのクラフトゆずりは)と被災地についての話をし、心の復興が必要なこと、今からが大変なこと等、色々意見を交わしてきました。

各地域が復旧から復興へシフトしていきている状況の中、福島、特に相双地区の状態を考えると、どうしたもんかなと悩ましい限り。
ふんばろうで物資支援という形で携わっていますが、もっと根本的な部分での支援が今後必要な気がします。

改めて色々考えさせられる良い機会でした。

と、泥酔状態での今日の所感でした。





www.kosonippon.org
構想日本(Japan Initiavive)は、国や地域の政策をいずれの政党、業界からも独立の立場で提案し、その実現を目指す非営利組織です。

2011年11月27日日曜日

お母さん頑張って〜いわきの虎

今週、Facebookを眺めていたらうれしいことが書いてあった。

いわきの現地活動でお世話になっている三児の母親のA氏のウォールにこんな近況が。

母の日や誕生日はほぼスルーされている私。まさか勤労感謝の日に手紙等々を頂くとは予想外でした(*^_^*) 一番の理解者の子どもたちに感謝です

というコメントと一緒に「いつもありがとうございます」と書かれた手紙と折り紙の写真。

これを見てとても嬉しかった。


彼女は通称「いわきの虎」。(と言っても福島支部のメンバーがこの前勝手に名付けただけだが、言われてみると似ていた。どちらかというと母ライオンに似ている)

いわきの南のほうに住んでいらっしゃるが、旦那さんのご実家が久之浜(30km圏手前)にあるため、久之浜の支援活動をしている若者達の手助けをし、色々と世話を焼いている。
現在、久之浜の母虎と言っても過言ではないと思う。

私もだいぶ世話になってる。
実家に泊まらせて頂いたこともあるし、今月はメールで文通のようなやりとりがずっと続いている。
現地で確認したいことについて市議からの情報を得て教えてくれたり、支援活動についての考え・悩みなど割と眺めの内容になってしまっても丁寧に返事を頂いている。
我が心の保健室のような存在になってきた。

そんなこともありとても感謝していて、そのうち何かできないかなーと一週間前から考え始めていた。
おそらく一番嬉しいのは、子供たちから励まし or 感謝の言葉だろうというのはわかっていた。

なぜなら9月に次女のたまやんとのツーショットを贈ったらとても喜んでもらえたから。
「こうして(写真を)見ると我が子と過ごすひと時が一番幸せだなーと改めて思いました」
とメッセージを頂いた時、我が子が原動力なんだなと強く感じた。

だから子供伝いに感謝の気持ちを表せないかなと密かに思案していたのだが、3匹の子虎達はちゃんと自ら感じ取っていたようだ。
自分たちがおばあちゃんの所に預けられている間に母虎がいわきのママさんや久之浜の青年のためにせっせと活動していることを何となくわかっているのだろう。

それが勤労感謝の日のプレゼントになったんだと思う。
3匹の子虎にありがとうと言いたい。



たまやんの写真→たまやん
ガイガーPJのスライドにも採用されました→ふんばろう









2011年11月26日土曜日

どこまでが支援か

どこまで支援するべきか。

「物資支援を卒業してもらう」と、とある方が仰っていた。
ここが区切りの一つかと思う。

しかし未だにここを卒業するめどがついていない地域がある。

行政が足踏み状態で下手すると根本的な部分が震災直後からほぼ何も状況が改善していないようである。

ここはおそらく本来であればボランティアという形では支援し得ない部分だが、今の深刻な状況では地元の人間だけでは恐らく改善が難しいと感じる。
動く若者がいないからだ。

問題の大なり小なりはあれどこういった地域もしくはコミュニティはまだまだある。

そこに対してはボランティアを越えた本当の支援が必要に思う。

2011年11月25日金曜日

避難しない人の心情

水曜日、午前中に福島市へTERRAの回収のためにGCPのメンバーのK氏と飯坂のヨークベニマルで落ち合う。
色々話しこんでいたら県外の人間の「なぜ避難しないのか。避難するべき」発言への悩み・ストレスについて語りだした。
再確認するように私はずっと30分程K氏の話を聴いていた。


その足で米沢の支援センターに寄った。
この日は毎週水曜のお茶会で「雑煮の食べ比べ」をやっていたが、13時着で一足遅かった。汁だけ頂く。

まだ丸山さんがいらっしゃって、神戸からきた神戸YWCAの方をご紹介頂いた。
教会系の団体で福島のお子さんがいる方対象にショートステイを支援活動として行っているとのこと。

話の流れで福島に残っている人の今の心情を長々と説明する形になった。
実際には10分程度だったと思うが、気持ち的には30分くらい一人で喋っていた印象がある。
100%ではないが1から10まで説明したつもり。

福島県内の方々は県外からの「なぜ避難しないのか」という発言にうんざりしている。
仮置き場がいつまでたっても決まらず除染の目処もつかず、東電の補償も目処がつかず、県外へ避難するにしても、県内に残るにしても、どちらもリスクがある。

県内組は放射線の危険性を軽視して避難しないわけでなく、知りうるデータから総合的に判断して、県外避難の経済的・精神的リスクとの比較をして避難しないことを選択している。(まだその判断力がない人もいるが)
中途半端な知識で「放射線は危険なんだから早く避難して欲しい」というのは安易すぎるということをわかって欲しい。
それを言うならば、避難の手段と避難の経費、避難先での仕事を用意してからでないと余りに無責任と言わざるを得ない。
そもそも生まれ育った土地を簡単に離れられるものではない。


最近、こういう福島の人達の気持ちは理解され得ないのでは、と感じている。
だからこそ逐一説明しようという気持ちにもなっている。
この日は支援センターに寄る前に、福島のK氏の気持ちも聴いたばかりなので尚更熱が入った。

一通り話し終え丸山さんと神戸YWCAの方々は次の場所へ移動。

なんだか一方的に喋ってしまったかもと翌日反省。


避難については個人の判断・価値観を尊重すべきであり、おしつけはよくないが、県内に残る方々の選択肢は増やすべきかと思う。


福島市からの避難者の一人が「全国に福島を作りたい」とおっしゃっていたが、各々の状況や事情にあわせた県外滞在のネットワークが欲しい。

長期的に考えれば子供の積算被曝量を減らす努力は必要。
長期・中期・短期で県外滞在ができる体制作りが今後の課題のように思う。





お知らせ〜海空フェスティバル〜明日まで!

再三の告知、、、と思ったら今日からでした。
以下明日まで開催されておりますので是非。
海辺でゆるーい感じでやってるらしいです。


海空フェスティバル

海空フェスティバル
http://umizora.jp/


万年ダイエット女流ジャズベーシストであるふんばろうの程嶋さんの同級生らが企画して6月のイベントでは1万人の動員数となったイベント。
震災で落ちこんでいる地元を元気付けようという趣旨のイベントとのことですが、今回は程嶋さんも運営に加わって、被災地支援のブースも出すとのこと。

ブース出展者も商店街を足で回ってお願いしたというから凄い。
湘南の方は是非チェックして頂きたいです。

11月25日(金)、26(土)の二日間の日程。

2011年11月21日月曜日

抗酸化物質

抗酸化栄養素が被曝対策に有効とされている。
これはビタミンC点滴の療法。

http://hibakutaisaku.net/index.html


長寿遺伝子の働きをONにするレスベラトールという抗酸化物質も被曝対策に有効と見られている。

これはポリフェノールの一種。
ポリフェノールといえば赤ワイン。
フランス人は被曝に強いのだろうか。

2011年11月20日日曜日

自分の目で

こちらにふんばろうでもお世話になっている内田さんのコメントがある(内田さんは南三陸の志津川高校避難所でずっと食事や物資仕分けなど避難所運営を続けてきた)

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1111/10/news077.html

(以下記事抜粋)
皆さんにお願いしたいことがあります。それは「被災地に来たことがない人は、ぜひ来て、見て、遠慮せずデジカメでたくさん写真を撮って、ネットにアップしてほしい」ということです。震災の爪痕はまだそのまんまなんだ、ということを伝えてほしいんです。
 今後どんどん、震災については忘れられていくでしょう。それは僕らも覚悟しています。でも少しでも覚えていてもらえるよう、現地の写真をアップしたり、飲み屋で話題にしたりしてほしいんです。それが、僕が伝えたいことです。
被災地からするとやはり忘れ去られるのが一番怖い。

全て流された地域は町の機能がまだ回復していない。
仕事がない。
経済が循環していない。
復興していくための支援が必要なのはこれからだ。


日本の国土は狭い。
観光ついでで良いので一度自分の目で被災地を確かめて欲しい。
そこで何を感じるかはその人次第だが、一度見て欲しい。

2011年11月18日金曜日

ガイガーPJ内部講習会@郡山

11月13日(日)。

郡山にてふんばろうのガイガーカウンタープロジェクトの内部向け講習会があった。

2ヶ月ぶりくらいに郡山を訪れたが、町のあちこちで除染活動が行われていたのが印象的だった。
郡山などでは子どもが運動できるように屋内遊戯施設が急増しているという。
ゴルフ用品店でも、空きスペースを屋内遊戯スペースとして無料提供するサービスが始まっているとのこと。
先日マスコミでも郡山の子ども達の運動不足が指摘されたためだろう。

これまで福島の中通と浜通のみに限定して線量計の貸出しを行ってきたが、福島県以外の地域からのニーズもあがってきているため、地域担当者が必要になってくる。
そのために講師育成としての講習会。

と言っても内容的に難しい部分もあり、一回ではなかなか講師はできないかなと、、、たぶん初参加の方は全員思っていたはず。


私は何回も見ている資料・何度も聴いている話として聴いていたが、それでも新たに「なるほど」と思うことがあるので、繰り返し聴講するしかないのかなと思う。

内部被曝の実行線量係数などちょっと本格的な話も出てきてかなり勉強になる内容だった。

この日は福島支部のメインメンバーがかなり揃っていたので、講習会終了後に雑談に忙しくなる。
どちらかというとこっちがメインで今回参加した。

と思いつつそれぞれに話たいことがたくさんあり、結局時間が足りなかった。

同時並行で、TERRAの使い方を貸出し担当の方に教える。
夏に米沢の支援センターにおいてきたチラシより、富岡町の一時帰宅予定の方から申し込みがあったからだ。

今週一時帰宅のようだが、果たして申し込みされた方は自宅で実際の線量を確認してどう思われるだろうか。ちょっと気になっている。

富岡と言えば、それとは別件でいわき市の富岡町の仮設で温熱治療のボランティアを行うことになりそうだ。富岡町の仮設は行政の支援がいっさいなく、全部自分たちでやらなくてはいけない状態とのこと。こちらもかなり気になっている。

なぜかたて続けに富岡町につながった。
何かあるのだろうか。

2011年11月17日木曜日

冬物支援

被災地の冬物支援。
ふんばろうのコタツプロジェクトとふんばろうと連携している平島氏のあったかストーブプロジェクトが日経webで紹介されている。

「あったかストーブプロジェクト」については私も米沢に避難している南相馬の方からできれば欲しい・・・と頼まれ、密かに応援している(他の方法も模索してます)。
本当に必要なところに届けなければいけないので、何でもかんでも支援するわけにもいかないが、心の支えになえればと思うこのごろ。
東北はどこも寒いがやはり豪雪地帯は気持ち的にも寒いので石油ストーブは必須と考えています。
ただ宮城県沿岸部だけでもかなりの数が必要なので、米沢まではなかなか難しいと思っています。



もし被災地への募金を実践している方、計画している方がいれば、できればこういう顔が見える支援への直接の寄付をお勧めします。
それはもちろん我々の活動の助けになることもありますが、一番の理由はミクロで被災地の実情を感じて欲しいから。
義援金を否定するわけではないが、やはり現実逃避の娯楽に使われている実情等を現地の被災者・支援者から実際耳にしていると、

本当の支援とは

ということを考えざるを得ない。


特に平島氏はご自身のブログで活動を逐一書き綴っているので寄付をしたら被災地のことを考えざるを得ないのでお勧めです。
彼の痛烈な言葉は心に響きます。
ゆえに受け止められない方もいるでしょう。
それはそれで仕方がないです。
見た目はひょうきんなおじさんなのに本当に痛烈なので。

日経↓
http://www.nikkei.com/news/special/article/g=96958A88889DE1E4E7E6E4E3E0E2E3E4E3E3E0E2E3E3E2E2E2E2E2E2;q=9694E2EBE2E7E0E2E3E3E1E5E1E2;p=9694E2EBE2E7E0E2E3E3E1E5E0E5;o=9694E2EBE2E7E0E2E3E3E1E5E0E4




ふんばろうの寄付サイト→ http://kauloco.com/

2011年11月14日月曜日

第四回 Music Caravan@大槌 (続き)

時間が押している中、午後は大槌の赤浜というエリアの仮設へ行く。
ここで通過したエリアは被害が大きいと感じた(どこも酷いのですが)。
根こそぎやられている南三陸にそっくりだった。

この日、このエリアに復興食堂という店が地元の若者達によってOPENしたということでそこに連れて行ってもらえる予定だったが、時間が押していたため通り過ぎるだけになった。
またの機会に是非いきたい。

仮設集会所に着くなりバタバタと楽器とコーヒーの準備をしてほどなく始める。
一件目の仮設集会所もそうだったが、皆で集まれるように座布団が欲しいと一同思った。
ふんばろうのハンドメイドプロジェクトで製作材料だけでも何とかお願いしたいな。
そんなわけでこの日は外のベンチを仮設の方と一緒に中に持ち込んで座って頂いた。
即席感あふれる会場。

この会場では来場者にジャズが好きそうな方が自分のすぐ目の前にいて、頷きながら聴いている様子を横目で見ていた。
一時間ほど演奏して終了。

そして14:46分を迎えた。
黙祷を捧げる時間。
すっかり忘れていたけど、この日で8ヶ月が経過した。
ふんばろうの村上氏が音頭(?)をとって黙祷。

それまで音楽とコーヒーでわいわいしていた会場の雰囲気がひっそりと鎮まる。

目を閉じた瞬間、色々な感情が塊になって自分に入ってくるのを感じた。
被災者の方々と現地で黙祷するのは初めて。
それまで楽しいイベントをしていたからか余計に感じた。
こんなに深い悲しみなのか。
声を挙げて泣く人はいなかったが、痛いほど感じた。
一分間がとても辛く長かった。

黙祷を終え、ハンドメイドプロジェクトのお土産を渡して会場もお開きに。

その時、帰り際に一人のおばあちゃんが
「ありがとうございました」
と声をかけて下さった。
「亡くなった人達にも聴かせてあげたかった」
胸に突き刺さった。

横を見ると案の定、リーダーの程島が泣いた。
一回目の釜石で現地の方に、被災者の前であなたが泣いちゃだめだよ、と言われたのに。
でもこれは仕方ない。
私も何とも言えない気持ちでいっぱいだった。
でもその反面、現地の方の本心に初めて触れる事ができたようでうれしくもあった。

被災者の気持ちはどんなにもがいても当事者にしかわからない。
私達にできるのは横で耳を傾けることだけだろう。
今回は演奏という形でそれができたのかもしれない。
今後はもっと寄り添った形が必要かなと思いつつ、おばあちゃんの言葉に感謝した。


後片付けをしてから、遠野まごころネットの杉浦さんにしばらく話を伺って仮設を後にする。
第四回目のMusic Caravan終了。

この日は、翌々日の郡山でのガイガープロジェクト講習会を控えていたのでそのまま米沢の実家に帰るつもりだったのだが、今回のMusic Caravanをどうしてもしっかり消化したいと思い、メンバーと一緒に東京に帰る事にした。


色々なことを考えながら帰路についた。
途中運転手以外が寝静まった頃、おばあちゃんの言葉を思い返し、我慢していた涙がしばらく止まらなくなってしまった。

被災地は少しずつ前を向いて進んでいる。
いつまでも引きずっているわけにもいかない。
でも、被災者は深い悲しみを経験している。
それは心に留めておかなければいけないなと改めて思い知らされた。

そんな被災者に対して、自分がこれから何ができるのか。
それが本当に最適なのか。
いつまで続けるのか。
原点を見失わずに見極めていきたい。



程島さんのブログでより詳細がわかります↓

第四回 Music Caravan@大槌

11月10日、11日と第四回目のMusic Caravan に参加してきました。

今回は岩手県大槌町の仮設集会所での演奏。

一日目は朝に東京を車で出発、夕方に岩手の遠野に着き、遠野まごころネットで作業から帰ってきたボランティアの方々に向け一時間程演奏。
皆さん結構のりのりで聴いていた。
現地ボランティアに対してのイベントはあまりなく、こういうイベントはもっと欲しいということだった。
音楽だけでなく、フィジカル・メンタルでのケアも多分必要な人がいるはず、、、と、ふと、いわきで離脱中の支援者を思い出してしまった。地元の人達を後ろで支え続けて体を壊してしまったあの侍、どうしているのやら、、、。

福島は瓦礫撤去は一通り落ち着いている感じだが、岩手はボラセンの外に作業道具をずらっと干してある様子を見て「まだまだ」なんだと気づいた。

翌日は釜石駅で担当の方と待ち合わせて大槌の仮設へ向かう。

釜石では第一回目のラストを飾った新生釜石協会へ立ち寄る。
牧師さんは「あの時は自由で良かったなー」と相変わらずの調子。
第一回目で教会前の道路を勝手に封鎖しようとしたファンキーな方だ。
周辺の様子は少しずつ片付いているなという印象もあったが、何より明るい雰囲気がどことなく感じられた。
天気が良かったせいかもしれないが、前向きな雰囲気を感じた。

教会を後にし、いざ大槌へ。
瓦礫はほぼ撤去されているが、南三陸に匹敵する壊滅ぶりに久々に圧倒される。
「ここもこんなに、、、」
何より5mくらいあるどでかい防波堤が所々崩れているのを見て、津波の破壊力を想像させられた。
そんな状況を見ながら仮設にたどり着く。


一回目からこれまで花プロジェクトも併せて行われてたが、今回は花屋の樋口さん(http://www.087kun.com/)の都合があわず花がなかったため、「何か代わりの物がないか」と考え、以前から考えていたコーヒーを急遽持ち込んでみた。
ちゃんとした設備は望めないのでできるだけ簡単にできるように、コーヒーミルとスタバのステンレスフィルターを前夜に持参することを決定。
これがあればどうにかはなるだろうと。
豆は結局手に入らず、ローソンで挽き豆を買う形になってしまったけど、集会所にほどよく香りを漂わせることができたので結果おーらいということで。
同行のふんばろうの河野氏がバリスタとして僕の想い付きを実現させてくれたので感謝です(あれもない、これもない状況でほんとに、、、)。


仮設集会所は20畳ほどの広さで一件目は7月頃から入居が始まっていたけど集会所でイベントをやるのは初めて、と聴いて驚いた。
健康相談くらいで使うだけだったとか。
同行していただいた遠野まごころネットの生活サポート担当の杉浦さんにこの件訪ねると、小さい仮設より大きい仮設で大所帯でイベントが行われるケースが多く、杉浦さんはあまり行き届いてない所を今回選んでいるとのこと。
イベントの場所は担当次第になる様子で、杉浦さんのように考える人がいなければ小さい仮設での行事設定はないようだった。
イベントの目的の一つは引きこもり老人を出てこさせる事にあると思うので、そこらへん是非バランス良くやって欲しいなと思った。
ちなみにご来場頂いた入居者の方々に聞いたら大和ハウスの仮設は気密性が高く寒くないとのこと。
動くのが億劫なお年寄りは冷え込めばますます引きこもることこの上なし、と感じた。


集会所には総務省のラベルが貼ってあるNECのノートPCが二台置いてあった。
これもまた使われていない様子。
「役所は仮設にモノを置いてくだけ置いていって何の説明もないのよ。置いていくだけで使い方の説明なかったら結局使えないでしょ?」
と仮設のおばちゃん。
ふんばろうで動いているPCプロジェクト(http://wallpaper.fumbaro.org/infrastructure)は支援PCに加えこの総務省支給のものもあわせて使い方のサポートをする。



おばちゃんは加えて「プリンターが欲しい。できれば複合機の、、、」とのこと。
情報収集するはいいがアウトプットできなければ皆さんと共有は難しい。
プリンターが必要というのは最もな話だ。
自分の普段の生活でもプリンターなければ不便を強いられるのは想像すればわかるだろう。
情報格差による支援の差が被災地では出ている。
PCとプリンターはやはり生活の復旧上「支援すべきもの」と僕は感じた。

とりあえずこの場では我が家に売ろうと思っていた旧式のプリンターがあったので、それをこちらの仮設に送ることにした。
複合機でなくて申し訳ないが、当分はないよりましだろう。


と、だいぶ演奏の話からそれていますが、現地の方との距離が非常に近かったため多岐に渡る問題が今回の旅ではたくさん見つかった気がしています。
全体的に物資支援は収束しているけど、インフラ面で最後の一押しが必要に思います。
ここをしっかりやるかどうかで、今後の復興のスピードは大きく変わってくるはず。

つづく




程島さんのブログでより詳細がわかります↓
http://sun.ap.teacup.com/moonandsand/

2011年11月12日土曜日

告知

【RT願い】本日11月12日(土)14時から表参道ヒルズで、日 本赤十字社とNHK主催の赤十字シンポジウム2011「たすけあ う世界へ 〜東日本大震災でつなげていく支援の輪〜」にふん ばろう東日本の代表として登壇します。参加無料。当日参加可 です→http://fumbaro.org/news/2011/10/2011.html 東京:11/12(土)赤十字シンポジウム2011に リストとして参加します fumbaro.org 11/12(土)「赤十字シンポジウム2011」に、 本支援プロジェクト代表・西條剛央がパネリス ます。 入場無料(事前申し込みが必要)ですの 加ください。

2011年11月3日木曜日

音楽で被災地支援

来週急遽、岩手の仮設をまわることになった。
7月、8月と参加させて頂いたMUSIC CARAVANでの音楽巡業になる。



さてさて今回はどうなるかな。

遠野まごころネットでお世話になる。
http://tonomagokoro.net/

2011年11月2日水曜日

線量計貸出し

先月、米沢の支援センターに置いてきたガイガーカウンタープロジェクトのチラシから貸出しの問い合わせたきたらしい。

富岡町の方が一時帰宅の際に利用したいとか。

線量が高いエリアなのでイレギュラーだがTERRAも一緒に貸し出すとのこと。

やはりニーズはあるようだ。

米沢で一時帰宅の需要があるならば山形市のほうもアプローチかけたいなと思った。


あとは新潟も避難者は結構いるはずなので、そちらもフォローできればな。。