2012年4月20日金曜日

限界集落の真実

先日、日本政策研究センターの勉強会にて「限界集落の真実」についてのお話を、首都大学の山下先生にご講義頂きました。
今回参加させて頂いたのは、前回初めて参加した日本の家族政策に関連する内容だったからであると同時に、被災地へ行く度に高齢化・過疎化を痛感しているため非常に気になっている問題だったからです。まあ特に被災地に限らず山形に帰省する時も感じる問題ですが、、、。
内容としては期待はまだある、ただしこれからどうするかが問題、、という意外なものでした。


また、山下先生は警戒区域の富岡町の地域再生支援にも関わっておられ、40代の子を持つ富岡町の方々が子供達に故郷を継承していくための活動が始まっていることを知りました。
限界集落は土地を基盤に色々な試みが既になされていますが、強制限界集落となってしまった原発周辺地域はその土地に入れません。
その状態でどのように地域を継承していけるか、非常に悩ましい問題と感じました。
と同時に重要なことであることも今回の勉強会で感じました。


家族、イエの繋がり、受け継がれてきた歴史、伝統、生きる知恵、精神、、、そういった諸々を含めた私達のアイデンティティーに関わる根幹的な問題が限界集落問題には含まれています。
皆様の故郷ではどうでしょうか?




以下、Wmodeにて書いた勉強会の概要を転記します。
※参考文献是非読んでみて下さい




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■日本政策研究センター勉強会
■講師:山下祐介氏 首都大学東京 准教授

4月16日(月)は日本政策研究センターにて「限界集落の真実」についての勉強会でした。
前回の家族政策の問題に続き、とても考えさせられる内容でした。

趣旨としては少し意外なものでした。
高齢化によって集落が次々と消滅している、というのが一般的なイメージですが実際にはそうではない。
限界集落と言われる地域について深く掘り下げて調べて行くと、まだ高齢化で消滅した村はほとんどない、というとても興味深い話しでした。

ただし、これからその消滅の危機があるためその対策を考える必要があるようです。

限界集落の実情は、その集落の家族が仕事等の都合で広域(都市郊外)に分散して生活しているため、集落には住んでいないけど実は割と近くにいる、というものです。
今後は集落に住む高齢世代から、近郊にいる子・孫の世代へどうやって集落を継承することができるかが問題となってきます。

質疑で週刊朝日の記者の方が
「なぜ限界集落を守らなければいけないのか」
という質問をされましたが、山下先生は「限界集落を失った場合の知見が我々にはまだないので、実際になくなったらどうなるかわからない。」「ただ、限界集落を失うことは歴史を失うことでもある。心の問題になってくる」と仰っていたのが印象的でした。

山下先生は警戒避難区域の富岡町の支援にも関わり、40代の親達が子供達にどのように故郷を継承していくかを考える「とみおか子ども未来ネットワーク」という活動が立ち上げられているとのこでした。
私は「こういう動きが出ているんだ」と嬉しく思いましたが、土地がない状態でどのように地域を継承していくのか、非常に難しい問題だと感じました。
質疑でもこの疑問をぶつけてみましたが、山下先生も「まだわからない」という回答でした。

歴史を失う事。
心の問題。
強制限界集落となった原発周辺地域の問題の深刻さを改めて感じました。
ただ、限界集落についてはまだこれからどうするかが問題であって、期待も持てる勉強会となりました。


【概要】
・限界集落の状況 村民はふもとに降りているだけ。耕地は維持されている。
・限界集落は幕末〜明治に開拓された分村→高齢化で昔からの村が消えたとは言い難い
・自然消滅した集落→新潟県上越市大島地区 それ以外の自然消滅は見られない
・人口増加と近代的な仕事を求めて家族は広域に分散→郊外(中心市街地と過疎地域両方へ行きやすい位置)
・限界集落の村民は世帯で見れば1人でも、実は都会(近くの地域)に家族はいる(週末帰ってきていたりする)
・限界集落は全く人がいなくなっているわけではない→近くにいる家族を呼び戻す→世代間での継承を考える必要性

参考文献
「限界集落の真実」著書:山下祐介(ちくま新書)

2012年4月17日火曜日

卒塾の様子

卒塾の様子が再生日本21のHPにアップされました。

「日本を良くするために何をすれば良いのか」
一見重たそうなテーマですが、突き詰めると一人一人にできることがあります。
志塾では色々な立場の方が集まって様々な意見を聴くことができます。
今後期を重ねる毎により中身の濃い議論が展開されていくと感じています。

第7期以降は今までとまた形を少しずつ変えて行くようですので、機会があれば是非志塾を覗いてみて下さい。


http://www.saisei21.jp/shijyuku/shijuku6sotujuku




2012年4月16日月曜日

卒塾〜志塾


先週の土曜、4月7日に株式会社再生日本21(http://www.saisei21.jp/)のプロジェクトの一環である「志塾」の卒塾式がありました。

塾長の講演の後、事務局長、塾頭そして卒塾する6期生の発表を行ったあと、塾生の先輩や支援者の方々との懇親会も行われ、無事卒塾式の日を終えました。

この志塾、存在自体は設立当時から知ってはいたのですが、震災での支援活動を機に入塾しました。
被災地支援活動に割ける時間が減ることに対してかなり迷いましたが、被災地の問題は日本全体で抱える問題が多い事や、10年〜20年の長い目で見ると後々生きてくるような気がして入塾した経緯があります。
結果的には良かった、と言いますか、より広く深く、被災地の問題を感じ取ることにつながったと思います。

昨年7月から始まった第六期の志塾は2ヶ月に1回のペースで、座学、現地研修、都度の課題等、それなりの負荷がありましたがとても内容の濃いものでした。

幕末に日本を守らなければいけないという精神を築いた吉田松陰について学んだ萩・下関研修。ここでは松陰の叔父である玉木文之進の旧宅で、日本政策研究センター主任研究員の岡田先生のご講義は、吉田松陰が乗り移ったかのような渾身の講義で、心が強く揺さぶられました。

熊本県の水俣での水俣病研修では現地でずっと水俣病問題に取り組んできた方の案内で水俣の歴史と現状を学ばせて頂きました。
当然私は福島の問題を重ねてこの研修に臨みましたが、水俣は予想以上に考えさせられるものでした。
水俣病の原因を作った企業のチッソは地元にはなくてはならない存在。
驚いたことに、未だにこの企業は地元ではステータスになっている。
それだけ生活の上で必要な企業ということになります。
生活で依存している近代文明とどう向き合うのかが問われる内容で、今の原発問題も同様に安易に「危険だからダメだ」と言えるような問題ではないことを痛感しました。

この萩・下関と水俣が現地研修の目玉になりますが、これに各方面で活躍されている講師の方々の座学が加わります。

この他にオプションとして被災地ボランティア活動や、事務局長の稻田さんのお誘いで、日本政策研究センターによる勉強会など、幅広く体験・学びの場があります。

今様々な問題を日本は抱えていますが、いずれもが私達の生活と深く結びついています。
多少の不安を感じながらも「一体何ができるのだろう」と思うかもしれません。
志塾で得た結論の一つは、私達の一人一人の今の生活に対する意識が非常に大切だということです。
価値観を見直す作業と言い換えても良いかもしれません。

行政依存、大部分をアウトソーシングに頼っている日常生活。
今の生活の在り方が結局の所、孤立化につながっています。
震災で絆という言葉が注目されましたが、もっと自分たちの生活を手元に寄せれば本来の繋がりというものは取り戻せるのではないか、志塾ではそういうことを考えさせられました。

志塾は当初、経営者や起業家、国家公務員などが多いイメージでしたが、私の所属した第6期は主婦の方や、高校生、大卒の方など、一般の方が多かったため、其の視点で問題を捉えた意見が多くでてきました。
ですので敷居の高い場所でもありません。(内容は厳しいですけどw)

明日の日本を不安に思う方、自分たちの国をもっと良くしなければ、自分の孫・子供の代の日本を何とかしてあげたい、と漠然とでも思う方がいらっしゃれば、第7期生として一年間学んでみてはいかがでしょうか。

志塾第7期生募集中です(http://www.saisei21.jp/shijyuku)。




被災地の問題は被災地だけのものではない。
きっかけさえあれば日本中どこでも起こりうる。

そう感じたのがきっかけの志塾でしたが、今後はこれを被災地支援に役立てて行こうと思います。




2012年4月12日木曜日

ふくしま避難者の集い in 早稲田

ここ二ヶ月ほど諸々あったのですが多忙のため更新しておりませんでした。
日にちが経ってしまっているのですが、近況をぼちぼち更新していきます。
まずはこちらから。


3月18日(日)、早稲田大学にてふんばろう福島支部としては初めて都内での企画がありました。
「ふくしま避難者の集い in 早稲田」は県外避難者の交流の場を作る目的で開催されました。

今までガイガーカウンタープロジェクト等で現地のメンバーと関わっていた中で、複雑な感情があるのを身に染みて知っているのでどうなるのか正直心配でしたが、参加者からも好感触で、何より避難者同士の繋がりが今回の場でできたことに、今後の必要性を改めて実感しました。

今回は参加者が約20名、主に浪江町の方でした。
告知は避難地域の役所と都内で県外避難者を支援している社協など。
浪江町の方が多いのは、役場が協力的であり、震災直後に避難者へフォトビジョンを支給して町の情報を流せるようにしているので、避難者への周知がすぐできるからです。
他地域でも今からでもそういった情報共有の仕組みが構築できないものかなと思いました。

今回の企画で一番嬉しかったのは、私が扇風機を送ったことがきっかけで7月から何回か手紙のやりとりをしている都内避難者の方が、案内の手紙を読んで足を運んで頂き、初めてお会いできたことです。
お会いしたのは本人ではなく一緒に富岡町から避難している妹さん(ご本人は体調不良のため代わりにお礼を言ってきてといわれたそうです)でしたが、色々と話を伺えました。
富岡町は役場の動きが良くないらしく、いわき仮設でも支援が少ないという話を聞いていたのですが、この方もやはりふんばろうの物資支援が本当に必要だった様子でした。
今回ような交流の場もないので、次回も是非参加したいというご意見も頂き、案内の手紙を出しておいて良かったとつくづく感じた次第です。

知り合いも誘いたいという声もあり、今後のネットワーク作りに協力できれば、と強く思う一日でした。

2012年4月10日火曜日

ふくしま避難者の集い in 早稲田

3月18日(日)、早稲田大学にてふんばろう福島支部としては初めて都内での企画がありました。
「ふくしま避難者の集い in 早稲田」は県外避難者の交流の場を作る目的で開催されました。

今までガイガーカウンタープロジェクト等で現地のメンバーと関わっていた中で、複雑な感情があるのを身に染みて知っているのでどうなるのか正直心配でしたが、参加者からも好感触で、何より避難者同士の繋がりが今回の場でできたことに、今後の必要性を改めて実感しました。

今回は参加者が約20名、主に浪江町の方でした。
告知は避難地域の役所と都内で県外避難者を支援している社協など。
浪江町の方が多いのは、役場が協力的であり、震災直後に避難者へフォトビジョンを支給して町の情報を流せるようにしているので、避難者への周知がすぐできるからです。
他地域でも今からでもそういった情報共有の仕組みが構築できないものかなと思いました。

今回の企画で一番嬉しかったのは、私が扇風機を送ったことがきっかけで7月から何回か手紙のやりとりをしている都内避難者の方が、案内の手紙を読んで足を運んで頂き、初めてお会いできたことです。
お会いしたのは本人ではなく一緒に富岡町から避難している妹さん(ご本人は体調不良のため代わりにお礼を言ってきてといわれたそうです)でしたが、色々と話を伺えました。
富岡町は役場の動きが良くないらしく、いわき仮設でも支援が少ないという話を聞いていたのですが、この方もやはりふんばろうの物資支援が本当に必要だった様子でした。
今回ような交流の場もないので、次回も是非参加したいというご意見も頂き、案内の手紙を出しておいて良かったとつくづく感じた次第です。

知り合いも誘いたいという声もあり、今後のネットワーク作りに協力できれば、と強く思う一日でした。