2014年4月30日水曜日

2014/4/9 花見山お花見ツアー for CheFuKo

ちょっと公開するのを忘れており遅くなってしまいましたが、今年の花見山の様子をアップします。

4/8~9で温熱軍団として福島市の花見山へ行ってきました。
二日目の4/9は「お花見ツアー」と銘打って、現地集合で総勢23名でお花見をしました。
東京を始め、わが故郷の米沢から恩師御一行様や、南相馬は太陽の郷の理事お二人にご参加いただき、昼食後の自己紹介タイムでは震災直後の様子や、活動についてお話していただきました。


花見山はまだシーズンとしては咲き始めでしたが、ヒガンザクラはこの日に満開となり、桃源郷と呼ぶにふさわしい景色に皆みとれていました。


一日目は索道に置く椅子作りから派生した薪割りへ突入。
桜吹雪の中のチェーンソーはしびれます!

マサカリの扱いもだいぶ板についてきました。
                 CheFuKoの桜も咲きました


               1月に植樹した桜も花が咲きました。


里山一帯が文字通り花見山となっている

桜と対照的に咲いているのはサンシュユ。桜以外にも色々咲いているので景観に飽きないのです。後の森びとさんのお話で知ることになるのですが、実は植生的にも色々植えていたほうが育ちが良いそうです。競争する相手がいないと力強く育たないらしいんですね。人間と同じで、ぬるま湯に浸かってるとさぼってしまうみたいです。

2年前から切り開いたエリアからみる福島盆地も絶景です。



皆さん大満足


花見の後半は有志が残ってヤギのつばさくんのために柵を増強しました。

ありがとうメ~ン




2014年4月24日木曜日

2014/4/19 自然本来を大切に〜足尾、森人プロジェクトのアドバイス

この日は南相馬のNPO太陽の郷里山交流協会にて、足尾銅山の植栽活動を10年手掛けているNPO「森人プロジェクト」の理事の高橋さんと南相馬支部の岩橋さんをお招きして植栽のアドバイスを受けるということで、同席させていただきました。




一気に伐採すると土砂崩れの危険性がある。


低木は土を保湿する役割があるから残しておかないといけない。



植生を調査して、もともと生息している植物を活かさないといけない。



一種類だけではなく、敵対するものを一緒に植えないとよく育たない。

...などなど、勉強になることが多々ありました。福島市の花見山はそのへんをうまく抑えているようにも感じました。

帰りは南相馬から福島市まで高椅さんとバスがいっしょになり、CheFuKoについてアドバイス頂いたり、植物の話をたくさんして頂いたりしました。

今後色々とご縁のありそうな一日でした。

この日はすぐ実家へ向かい。翌日から二日間、宮城にて温熱ボランティアで現地入りです。

2014/4/12 NPO太陽の郷里山交流協会

2014年4月12日

この日は昼前に南相馬へ入り、20km圏手前の、太陽の郷里山交流協会にて活動。
ふんばろう緑でつながるPJの皆さんと合流し、寄付された桜の植樹に参加させていただいたあと、代表の齋藤さんにご紹介いただいた方々と会食。
そして皆で津波被災地域の小浜を案内していただきました。
その後ふんばろうメンバーは夕方のNPOの総会に同席させていただき、皆さんの想いと方向性を共有しました。



植樹の様子

福島の花見山よりも急斜面での植樹は、苗とともにバケツで水も運ぶのでなかなか大変な作業でした。
このようなすっかり開拓された山にこれから色付けをしていきます。
寄付された桜の苗木。
これはソメイヨシノ。

かなり急斜面に植樹します。

86歳の鈴木さんも勢力的に参加されています。
足腰が強靭なので急斜面での作業も問題ないのがすごい。

2014年4月7日月曜日

2014/4/5 飯舘村視察で感じた日本の高齢化について

再生日本21志塾にて飯舘村の視察。


今回はなんと半日の行程を菅野村長が直々に案内して下さり貴重な時間でした。
普段、南相馬へ行く時に何度も往復している飯館村ですが、村内をじっくりまわることはないので本当に貴重な一日となりました。


         写真右側の紫ダウンの方が菅野村長


飯野出張所で一時間ほど現状のお話を聴いたあと、飯舘村へ車で移動。
除染の様子や、村で唯一稼働中の工場、復興住宅などを案内していただきました。
  写真奥は山積みになっている除染された汚染物

 飯館村役場にて。役場周辺の整備は素晴らしいものでした


 奥の赤い建物が菊地工業の工場。
何とか一つでも産業を残して置かないと復興につながらないとのことで工場を稼働させているそうです。従業員は以外にも、村外の方がほとんどとか。

  飯野に建設中の復興住宅

最後に松川工業団地の仮設住宅で自治会長さんらのお話を伺ったのですが、皆さんにとても仲が良い雰囲気が伝わってきて、「村に戻る時はこの仮設のみんなで一緒に住みたい」という要望を村長に伝えていました。
村長にお茶話で復興についての意見を言う、こういうオープンな雰囲気はとても良いなと思いました。


飯館村の場合はご近所と言えど、お隣さんでも山をひとつ挟むくらいの距離感なので、仮に家へ戻れたとしても、一人暮らしの高齢者は孤立してしまうのが現実だそうです。
それだったら皆で一緒に今のコミュニティ毎帰還させてくれ、というのは凄く全うな答えだなと思いました。
そのほうが安心だし、効率良い生活になります。

震災や原発事故は確かに痛ましいものではあったのですが、コミュニティの再編という意味では、考え方によっては貴重なきっかけでもあったと個人的には考えています。
少子高齢化に加え、過疎化する地方で、高齢者がどうやって暮らしていくのか。
これはやはり今まで通りの生活スタイルでは到底難しいわけで、何か大胆に変えていかないと解決できない問題です。
これが例えば今回の震災では、仮設住宅に皆が集まるという変化が起きた。
不遇の事態にみまわれて、でもそれがきっかけで、変わらざるを得なかった。
震災に特にあわない過疎化している田舎は、よほどのブレーンがいないと手をこまねくしかないでしょう。と私は思うのです。

高齢者からすれば自分を気にかけてくれる人が身近にできるので、仮設住宅の避難生活はデメリットだけではないように思います。
ただ、これまでの生活環境から窮屈になったことによるストレスは間違いなく大きいものです。それは温熱軍団の活動で被災者の身体から直に感じていることなので間違いありません。
ですがそこをうまく解消して、お互い寄り添って安心して暮らせる生活スタイルを作れれば「もとの生活に戻れた」ところから、一つステージがあがったところの復興が見つかる気がします。
もちろん放射線という問題を考慮すれば、そんなに単純な話ではないのですが、前を見て進むしかないと思いますので。


飯館村にはこれから高齢化する日本が向き合うべきテーマがここにあるように思いました。


休日のところお時間を割いてご案内頂いた菅野村長、本当にありがとうございました。

2014年4月3日木曜日

3/21〜福島の子供の今〜門間先生のお話し

3/21(金)はCheFuKoの第三回目となる旗揚げレクチャーでした。

ゲストは福島市の保育施設「こどものいえそらまめ」の門間貞子先生。

当日まで門間先生とやりとりをしていたので、その中で、先日話題にあがった報道ステーションの甲状腺ガンについての特番についても少し触れていただけないか、というお願いをしました。

あまりにも多くの人が過剰な放送に踊らされ過ぎている、と感じたからです。報道によりネット上では怒りの声を挙げる人がたくさん見受けられましたが、SNS上で私が知る限りは、その多くが福島へ殆ど行ってない人。
福島の方からは報道に追随する姿勢は見受けられないし、この件に関係する職に従事する方は「あれは違う」という批判すら見られた。


なのでそれらのことも含めて門間先生にお話し頂いた内容をまとめて、追記していきたいと思います。