2014年4月7日月曜日

2014/4/5 飯舘村視察で感じた日本の高齢化について

再生日本21志塾にて飯舘村の視察。


今回はなんと半日の行程を菅野村長が直々に案内して下さり貴重な時間でした。
普段、南相馬へ行く時に何度も往復している飯館村ですが、村内をじっくりまわることはないので本当に貴重な一日となりました。


         写真右側の紫ダウンの方が菅野村長


飯野出張所で一時間ほど現状のお話を聴いたあと、飯舘村へ車で移動。
除染の様子や、村で唯一稼働中の工場、復興住宅などを案内していただきました。
  写真奥は山積みになっている除染された汚染物

 飯館村役場にて。役場周辺の整備は素晴らしいものでした


 奥の赤い建物が菊地工業の工場。
何とか一つでも産業を残して置かないと復興につながらないとのことで工場を稼働させているそうです。従業員は以外にも、村外の方がほとんどとか。

  飯野に建設中の復興住宅

最後に松川工業団地の仮設住宅で自治会長さんらのお話を伺ったのですが、皆さんにとても仲が良い雰囲気が伝わってきて、「村に戻る時はこの仮設のみんなで一緒に住みたい」という要望を村長に伝えていました。
村長にお茶話で復興についての意見を言う、こういうオープンな雰囲気はとても良いなと思いました。


飯館村の場合はご近所と言えど、お隣さんでも山をひとつ挟むくらいの距離感なので、仮に家へ戻れたとしても、一人暮らしの高齢者は孤立してしまうのが現実だそうです。
それだったら皆で一緒に今のコミュニティ毎帰還させてくれ、というのは凄く全うな答えだなと思いました。
そのほうが安心だし、効率良い生活になります。

震災や原発事故は確かに痛ましいものではあったのですが、コミュニティの再編という意味では、考え方によっては貴重なきっかけでもあったと個人的には考えています。
少子高齢化に加え、過疎化する地方で、高齢者がどうやって暮らしていくのか。
これはやはり今まで通りの生活スタイルでは到底難しいわけで、何か大胆に変えていかないと解決できない問題です。
これが例えば今回の震災では、仮設住宅に皆が集まるという変化が起きた。
不遇の事態にみまわれて、でもそれがきっかけで、変わらざるを得なかった。
震災に特にあわない過疎化している田舎は、よほどのブレーンがいないと手をこまねくしかないでしょう。と私は思うのです。

高齢者からすれば自分を気にかけてくれる人が身近にできるので、仮設住宅の避難生活はデメリットだけではないように思います。
ただ、これまでの生活環境から窮屈になったことによるストレスは間違いなく大きいものです。それは温熱軍団の活動で被災者の身体から直に感じていることなので間違いありません。
ですがそこをうまく解消して、お互い寄り添って安心して暮らせる生活スタイルを作れれば「もとの生活に戻れた」ところから、一つステージがあがったところの復興が見つかる気がします。
もちろん放射線という問題を考慮すれば、そんなに単純な話ではないのですが、前を見て進むしかないと思いますので。


飯館村にはこれから高齢化する日本が向き合うべきテーマがここにあるように思いました。


休日のところお時間を割いてご案内頂いた菅野村長、本当にありがとうございました。

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