2014年3月14日金曜日

本当にいいのか?緑地化計画による神社取壊し案


富岡町を見てまわったあと楢葉、広野と南下し、久之浜も訪れました。
この日の前日、線量計を借りるために伺ったいわきの支援者の方から久之浜の近況をお聴きしたからです。

私が震災初年度にお世話になっていたいわき市北端の久之浜。

ここの津波被災区域に津波を受けながらも、壊されずに残った秋義神社があります。
私も初めて久之浜を訪ねた時、瓦礫の山にポツンと残っている秋義神社は当然目に着いて、お参りしながら「やっぱりこういうのは残るんだなぁ、さすがだね」と思った記憶があります。

しかしこの秋義神社を取壊すかもしれないという話になっているそうです。

被災地各地で津波で全て流されてしまった区域をどうするか色々話し合われていると思いますが、ここ久之浜では今まで話が色々出た中で現在緑地帯にするという話があがっているそうです。
緑地帯にする場合、法律上のしばりで残った神社を撤去しなくてはならないらしく、町で話し合いが行われているようです。

津波で全て流された区域については、もともと過疎化も進むなかで以前程の人が戻ってくる見込みも難しいので年輩層からすると「ハコモノでも作っておけば町の活性化に繋がるだろう」という意見があって、それに対して、これからこの地域で生きていく世代からすると「いやいやちょっと待って下さい」という構造は震災当初からあり、瓦礫撤去や復興イベントなどのボランティア活動なども勢力的に行っていたはずなのですが、、、

それはともかく私の個人的な感覚としては、神様を普段信仰していなくても(日本人は神様と一緒に生活してきたと私は考えますすが)仮にも津波を生き残った神社を安安と取り壊すという発想になぜなるのかが理解に苦しみます。
長い歴史で培われた日本人の精神はどこへ行ってしまったのか。
勿論その地域の経済的な状況なども加味されてくる話なので部外者が横から口を出す筋合いなどないのかもしれませんが、それでも地域信仰を取り除いてまで得られるものが果たしてあるのか。
この日以降私は気にかかってしょうがないのです。


Facebookでこの神社取壊しの件について友達の方とコメントをやり取りしていて気付いたのが、根本はやはり教育なのではないか、ということです。
被災地に限らず、日本人の伝統精神が失われている。
伝承されるべき精神文化が失われていくこの問題は、つきつめていくと教育にあると私は思いました。

秋義神社取壊し案に対して、久之浜まちづくりサポートチームという地元の地域団体ではGW連休にあった合同神祭で子供向けに地元の神社と神様について考える小冊子を配布したそうです。

いつもお世話になっているいわきの支援者の長男はこの冊子を見た時、「なんか感動する」と繰り返し言ってたそうなのですが、感覚的にその大切さを理解できたからなのだと思います。

これからの世代に神様について考えてもらう、とてもある意味的を得た素晴らしい試みだと私は思いました。

※写真1、震災の年の五月の久之浜と秋義神社

※写真2、この連休の久之浜と秋義神社
※写真3、神様について考える冊子












































先日、いわきの方のFbへのポスト見たら秋義神社が残った形で施行されたようで、安心しました。
また5月頃に訪ねようと思います。(2014/3/24)














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