2011年9月12日月曜日

被災地だけの問題ではない

先日、南相馬市鹿島区の講習会終了後のこと。
駐車場の向かいで、現地で活動しているふんばろう東日本〜の方と3時間あまり立ち話をした。

彼は警戒区域である南相馬市の小高区に住んでいたため避難生活をしながら、地元のために物資配布等の支援活動をずっと続けている。

直に会うのは初めてだったので、地元住民としての視点と支援者としての視点から色々と話を伺った。

南相馬市は原発事故によって住民感情が分裂し、未だに地元のベクトルがバラバラな印象が兼ねてからあったが、この日話を聞いてその現状を確信した。
いわきに出入りしてきた中で、各方面から見聞きする南相馬は明らかに何か上手くいっていない印象があったが、やはりその通りのようであった。

話の中で、外部からのボランティアに支援を受けている状態を脱却しないといけない、という話が出てきた。
私も今までの活動で感じたきたことだが、今後は現地の人たちが自ら復興のために立ちあがらないと何も始まらない。


こと原発被災地域に関しては展望が見えないことから、投げやりな気持ちも当然出てくるだろうから、自暴自棄になるのはしょうがないとは思う。

だが、現状に疲弊し、人生も残り少しと言い訳して何も動かない年配者にこそ、これからの代のために最後のひと働きをしてもらう必要があるんじゃないかと感じる。
なぜ子供、孫のために動かないのか。
自分達が良ければそれで良いのか。

彼も私も同じことを感じていた。

個人主義、自分勝手などは若者にレッテルが貼られがちだが、今回の被災地での動きを見聞きしていると、上の層にもだいぶそういった方々がいるように私には感じられる。
日本国民が全体的にそういう傾向になりつつあるのは間違いないと感じている。

訴訟するべきものは当然するべきだが、状況を改善するのは国でもなく、東電でもなく、我々自身ということに気づいてもらう必要がある。
これは被災地だけの問題ではなく、行き詰まっている日本と私達自身が抱えている問題でもある。
政府や国が何かをしてくれるのではなく、自分たちが各々考えて動かなければならない。
被災地の問題は被災地だけの問題ではない。


もちろん、これから引っ張ってべき行く若い代も動きが鈍いと感じる。
南相馬の彼の話では同年代で支援活動をしている人間はほとんどいないとのことだった。
家でゲームをしていたり、あまり仕事をしているような様子でもないとのこと。

以前、久之浜の諏訪神社の息子さんも似たような悩みを語ってくれた。
同期で協力してくれる仲間がいない、と。

今の20〜30代は全般的に余裕がない。
物好きじゃないとなかなかボランティア活動に避ける時間も資金もないと思う。
だが、現状を打開していくにはそこに力を少しでも注いでいかないと行き詰まっていくだけだと思う。
震災の復興というよりは、かねてからの問題だった、地域の復興を目指して動く時ではないだろうか。










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